・・・あれから二十年、あなたは、いまでは明治大正の文学史に、特筆大書されているくらいの大作家になってしまいました。絢爛の才能とか、あふれる機智、ゆたかな学殖、直截の描写力とか、いまは普通に言われて、文学を知らぬ人たちからも、安易に信頼されているよ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・手管というのは、たとえばこんな工合いの術のことであって、ひとりの作家の真摯な精進の対象である。私もまた、そのような手管はいやでなく、この赤児の思い出話にひとつ巧みな手管を用いようと企てたのである。 ここらで私は、私の態度をはっきりきめて・・・ 太宰治 「玩具」
・・・闘争の対象の無い自由思想は、まるでそれこそ真空管の中ではばたいている鳩のようなもので、全く飛翔が出来ません。」「似たような名前の男がいるじゃないか。」と越後獅子はスリッパを縫う手を休めて言った。「あ、」と固パンは頭のうしろを掻き、「・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・マレー半島に奇襲上陸、香港攻撃、宣戦の大詔、園子を抱きながら、涙が出て困った。家へ入って、お仕事最中の主人に、いま聞いて来たニュウスをみんなお伝えする。主人は全部、聞きとってから、「そうか。」 と言って笑った。それから、立ち上って、・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・その対照が私に非常に深く人生と自然とを思わせた。 ある日、O君に言った。「弥勒に一度つれて行ってくれたまえ」 で、秋のある静かな日が選ばれた。私達は三里の道、小林君が毎日通って行ったその同じ道を静かにたどった。野には明るい日が照・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・ これに反してアインシュタインの取扱った対象は抽象された時と空間であって、使った道具は数学である。すべてが論理的に明瞭なものであるにかかわらず、使っている「国語」が世人に親しくないために、その国語に熟しない人には容易に食い付けない。それ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・その中には日本一の落差で有名だというのがある。大正池からそこまで二里に近い道程を山腹に沿うて地中の闇に隧道を掘り、その中を導いて緩かに流して来た水を急転直下させてタービンを動かすのである。この工事を県当局で認可する交換条件として上高地までの・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・旅行者が特別な興味をもつ対象の前にしばらく歩を止めようとするのを、そんなものはつまらないから見るのじゃないと世話をやく場合もある。つまるとつまらないとが明らかに「相対的」のものである場合にはこれは困る。案内者が善意であるだけにいっそう困るわ・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・これからさきどんなに美しく変わるかしれないが、大正十二年以前に、大学の門をくぐった人々の中にある「池」の影像はやはり火災以前のそれでなければならない。 われわれの池が、いろんな小説や感想文の場面に使われた例もなかなか少なくなさそうで・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・今手近に適切な実例をあげることはできないが、おそらくこれらの絵巻物の中から「対照」「譬喩」「平行」「同時」等いろいろのモンタージュ手法に類するものを拾い出すことも可能であろうと思われる。 映画における字幕サブタイトルに相当するものすら、・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
出典:青空文庫