・・・勿論もう震災の頃には大勢の子もちになっているのですよ。ええと、――年児に双児を生んだものですから、四人の子もちになっているのですよ。おまけにまた夫はいつのまにか大酒飲みになっているのですよ。それでも豚のように肥った妙子はほんとうに彼女と愛し・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・現に彼の脚はこの通り、――彼は脚を早めるが早いか、思わずあっと大声を出した。大声を出したのも不思議ではない。折り目の正しい白ズボンに白靴をはいた彼の脚は窓からはいる風のために二つとも斜めに靡いている! 彼はこう言う光景を見た時、ほとんど彼の・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・僕は横になったまま、かなり大声に返事をした。「哀れっぽい声を出したって駄目だよ。また君、金のことだろう?」「いいえ、金のことじゃありません。ただわたしの友だちに会わせたい女があるんですが、……」 その声はどうもKらしくなかった。・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・ 刑場のまわりにはずっと前から、大勢の見物が取り巻いている。そのまた見物の向うの空には、墓原の松が五六本、天蓋のように枝を張っている。 一切の準備の終った時、役人の一人は物々しげに、三人の前へ進みよると、天主のおん教を捨てるか捨てぬ・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・軸は狩野派が描いたらしい、伏羲文王周公孔子の四大聖人の画像だった。「惟皇たる上帝、宇宙の神聖、この宝香を聞いて、願くは降臨を賜え。――猶予未だ決せず、疑う所は神霊に質す。請う、皇愍を垂れて、速に吉凶を示し給え。」 そんな祭文が終って・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・Mは後から大声をあげて、「そんなにそっちへ行くと駄目だよ、波がくだけると捲きこまれるよ。今の中に波を越す方がいいよ」 といいました。そういわれればそうです。私と妹とは立止って仕方なく波の来るのを待っていました。高い波が屏風を立てつら・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集って来て、砂山からでも見ていると、あんなに大勢な人間が一たい何所から出て来たのだろうと不思議に思えるほどですが、九月にはいってから三日目になるその日には、見わたすかぎり砂浜の何所・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・彼れはその考に自分ながら驚いたように呆れて眼を見張っていたが、やがて大声を立てて頑童の如く泣きおめき始めた。その声は醜く物凄かった。妻はきょっとんとして、顔中を涙にしながら恐ろしげに良人を見守った。「笠井の四国猿めが、嬰子事殺しただ。殺・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・それにしてもより稀薄に支配階級の血を伝えた私生児中にかかる気勢が見えはじめたことは、大勢の赴くところを予想せしめるではないか。すなわち私生児の供給がやや邪魔になりかかりつつあるのを語っているのではないか。この実状を眼前にしながら、クロポトキ・・・ 有島武郎 「片信」
・・・ フレンチの胸は沸き返る。大声でも出して、細君を打って遣りたいようである。しかし自分ながら、なぜそんなに腹が立つのだか分からない。それでじっと我慢する。「そりゃあ己だって無論好い心持はしないさ。しかしみんながそんな気になったら、それ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
出典:青空文庫