・・・ 彼の無言でいるのを見た伝右衛門は、大方それを彼らしい謙譲な心もちの結果とでも、推測したのであろう。愈彼の人柄に敬服した。その敬服さ加減を披瀝するために、この朴直な肥後侍は、無理に話頭を一転すると、たちまち内蔵助の忠義に対する、盛な歎賞・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・貝殻のように白く光るのは、大方さっきの桜の花がこぼれたのであろう。「話さないかね。お爺さん。」 やがて、眠そうな声で、青侍が云った。「では、御免を蒙って、一つ御話し申しましょうか。また、いつもの昔話でございますが。」 こう前・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・の字さんと言う(これは国木田独歩の使った国粋的薬種問屋の若主人は子供心にも大砲よりは大きいと思ったと言うことです。同時にまた顔は稲川にそっくりだと思ったと言うことです。 半之丞は誰に聞いて見ても、極人の好い男だった上に腕も相当にあったと・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・するとしばらく歩いている内に、大砲の音や小銃の音が、どことも知らず聞え出した。と同時に木々の空が、まるで火事でも映すように、だんだん赤濁りを帯び始めた。「戦争だ。戦争だ。」――彼女はそう思いながら、一生懸命に走ろうとした。が、いくら気負って・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・ 三 じゅりあの・吉助は、遂に天下の大法通り、磔刑に処せられる事になった。 その日彼は町中を引き廻された上、さんと・もんたにの下の刑場で、無残にも磔に懸けられた。 磔柱は周囲の竹矢来の上に、一際高く十字・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・梵鐘をもって大砲を鋳たのも、危急の際にはやむをえないことかもしれない。しかし泰平の時代に好んで、愛すべき過去の美術品を破壊する必要がどこにあろう。ましてその目的は、芸術的価値において卑しかるべき区々たる小銅像の建設にあるのではないか。自分は・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・すると右舷の大砲が一門なぜか蓋を開かなかった。しかももう水平線には敵の艦隊の挙げる煙も幾すじかかすかにたなびいていた。この手ぬかりを見た水兵たちの一人は砲身の上へ跨るが早いか、身軽に砲口まで腹這って行き、両足で蓋を押しあけようとした。しかし・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・そこには戦利品の大砲が二門、松や笹の中に並んでいる。ちょいと砲身に耳を当てて見たら、何だか息の通る音がした。大砲も欠伸をするかも知れない。彼は大砲の下に腰を下した。それから二本目の巻煙草へ火をつけた。もう車廻しの砂利の上には蜥蜴が一匹光って・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・われらこの烈しき大都会の色彩を視むるもの、奥州辺の物語を読み、その地の婦人を想像するに、大方は安達ヶ原の婆々を想い、もっぺ穿きたる姉をおもい、紺の褌の媽々をおもう。同じ白石の在所うまれなる、宮城野と云い信夫と云うを、芝居にて見たるさえ何とや・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・でも、こんなじゃ、私の影じゃ、凄い死神なら可いけれど、大方鼬にでも見えるでしょう。」 と投げたように、片身を畳に、褄も乱れて崩折れた。 あるじは、ひたと寄せて、押えるように、棄てた女の手を取って、「お民さん。」「…………」・・・ 泉鏡花 「女客」
出典:青空文庫