・・・けれども生憎その声も絶え間のない浪の音のためにはっきり僕の耳へはいらなかった。「どうしたんだ?」 僕のこう尋ねた時にはMはもう湯帷子を引っかけ、僕の隣に腰を下ろしていた。「何、水母にやられたんだ。」 海にはこの数日来、俄に水・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・玩具屋の外の硝子戸は一ぱいに当った日の光りの中に絶え間のない人通りを映している。が、玩具屋の店の中は――殊にこの玩具の空箱などを無造作に積み上げた店の隅は日の暮の薄暗さと変りはない。保吉はここへ来た時に何か気味悪さに近いものを感じた。しかし・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ 僕等は絶え間ない浪の音を後に広い砂浜を引き返すことにした。僕等の足は砂の外にも時々海艸を踏んだりした。「ここいらにもいろんなものがあるんだろうなあ。」「もう一度マッチをつけて見ようか?」「好いよ。………おや、鈴の音がするね・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・風の音、雨のしぶき、それから絶え間ない稲妻の光、――暫くはさすがの峨眉山も、覆るかと思う位でしたが、その内に耳をもつんざく程、大きな雷鳴が轟いたと思うと、空に渦巻いた黒雲の中から、まっ赤な一本の火柱が、杜子春の頭へ落ちかかりました。 杜・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・は、ちょうど美しい蛾の飛び交うように、この繁華な東京の町々にも、絶え間なく姿を現しているのです。従ってこれから私が申上げようと思う話も、実はあなたが御想像になるほど、現実の世界と懸け離れた、徹頭徹尾あり得べからざる事件と云う次第ではありませ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・また、あるときは、風の絶え間にどこからか聞こえてくるバイオリンの音色に耳を傾けて、もしや、だれか自分の持っていたバイオリンを弾いているのではないかと思ったりしました。 そのバイオリンの音は、じつにいい音色でした。そして、それを弾いている・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・ろに言い返して勝てば、一年中の福があるのだとばかり、智慧を絞り、泡を飛ばし、声を涸らし合うこの怪しげな行事は、名づけて新手村の悪口祭りといい、宵の頃よりはじめて、除夜の鐘の鳴りそめる時まで、奇声悪声の絶え間がない。 ある年の晦日には、千・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・ そして絶え間のない恐怖の夢を見ながら、物を食べる元気さえ失せて、遂には――死んでしまう。 爪のない猫! こんな、便りない、哀れな心持のものがあろうか! 空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆に陥った天才にも似ている! この空想はいつ・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・雲の絶え間には遠き星一つ微かにもれたり。受付の十蔵、卓に臂を置き煙草吹かしつつ外面をながめてありしがわが姿を見るやその片目をみはりて立ちぬ、その鼻よりは煙ゆるやかに出でたり。軽く礼して、わが渡す外套を受け取り、太くしわがれし声にて、今宮本ぬ・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・萱原の一端がしだいに高まって、そのはてが天ぎわをかぎっていて、そこへ爪先あがりに登ってみると、林の絶え間を国境に連なる秩父の諸嶺が黒く横たわッていて、あたかも地平線上を走ってはまた地平線下に没しているようにもみえる。さてこれよりまた畑のほう・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
出典:青空文庫