・・・正午すこし前、お民は髪を耳かくしとやらに結い、あらい石だたみのような飛白お召の単衣も殊更袖の長いのに、宛然田舎源氏の殿様の着ているようなボカシの裾模様のある藤紫の夏羽織を重ね、ダリヤの花の満開とも言いたげな流行の日傘をさして、山の手の静な屋・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・兎はおそばに参って、大臣になられたげな。お前もものの命をとったことは、五百や千では利くまいに、早うざんげさっしゃれ。でないと山ねこさまにえらい責苦にあわされますぞい。おお恐ろしや。なまねこ。なまねこ。」 狼はおびえあがって、きょろきょろ・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・この時、疾翔大力は、上よりこれをながめられあまりのことにしばしは途方にくれなされたが、日ごろの恩を報ずるは、ただこの時と勇みたち、つかれた羽をうちのばし、はるか遠くの林まで、親子の食をたずねたげな。一念天に届いたか、ある大林のその中に、名さ・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・あの門の中ですが――一緒に行ったげましょう。 プラットフォームをすっかりはずれて、妙な門を入って、どろんこをとび越えたところに、黒山の人だかりがある。のぼせて商売をしている女売子のキラキラした眼が、小舎の暗い屋根、群集の真黒い頭の波の間・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・と云いたげな口つきをしているではないか。 彼が寝台の裾の方の窓枠に載っているシクラメンの鉢を見ながら此様な事を考えていた時、彼方の廊下で激しく電話のベルが鳴り渡った。 れんがとり次いでいる声がとぎれとぎれに聞えた。程なく、彼女は、室・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・目ざめるとすぐ枕元の地獄の絵を見て女はねむたげな様子もなくさえた笑声を家中にひびかせた。 日暮方、男は又御龍の玄関の前に立った。せまい一つぼのたたきの上には見なれない男下駄がぬぎっぱなしになって居た。男はフッと自分がこの上なくいやに思っ・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ 次に、又宮城裁判長が眠たげな声で何かいうと、今度は絣の着物を着た若い男の人が小さい机を前にして立ち上りました。それは高岡只一という人です。裁判長が、高岡只一がモスコウの共産大学にいた間に何をしていたかと一言云ったらモスコーの学生生活の・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
・・・本多は何か問いたげに大御所の気色を伺っていた。 家康は本多を顧みて、「もうよい、振舞いの事を頼むぞ」と言った。これは家康がこの府中の城に住むことにきめて沙汰をしたのが今年の正月二十五日で、城はまだ普請中であるので、朝鮮の使の饗応を本多が・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・「乗る舟は弘誓の舟、着くは同じ彼岸と、蓮華峰寺の和尚が言うたげな」 二人の船頭はそれきり黙って舟を出した。佐渡の二郎は北へ漕ぐ。宮崎の三郎は南へ漕ぐ。「あれあれ」と呼びかわす親子主従は、ただ遠ざかり行くばかりである。 母親は物狂おし・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・唇は物言いたげに動いていたが、それから言葉は一ツも出ない。 折から門にはどやどやと人の音。「忍藻御は熊に食われてよ」 ―――――――――――――― ついでながらこのころ神田明神は芝崎村といッた村にあッてそ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫