・・・「知らない、おじさん。」「もっとも、一所に道を歩行いていて、左とか右とか、私と説が違って、さて自分が勝つと――銀座の人込の中で、どうです、それ見たか、と白い……」「多謝。」「逞しい。」「取消し。」「腕を、拳固がまえの・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・同情する自分と同情される他者との矛盾が、死ぬか生きるかの境まで来ると、そろそろ本体を暴露して来はしないか。まず多くの場合に自分が生きる。よっぽど濃密の関係で自分と他者と転倒しているくらいの場合に、いわば病的に自分が死ぬる。または極局身後の不・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・私なども編あげ靴の紐を結び直したばかりに、やはり他社のものに先をこされて、あやうく首切られそうになったかなしい経験がございます。高橋君は、すぐ編輯長に呼ばれて、三時間、直立不動の姿勢でもって、説教きかされ、お説教中、五たび、六たび、編輯長を・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・暴言ならば多謝。この泣き虫は、しかし、岩のようだ。飛沫を浴びて、歯を食いしばっている――。ずいぶん、逢わないな。―― He is not what he was. か。世田谷、林彪太郎。太宰治様。」 月日。「貴兄の短篇集のほうは・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ このようなただ一日を争う競争はまたジャーナリズムの不正確不真実を助長させるに有効であることもよく知られた事実である。他社を出し抜くためにあらゆる犠牲が払われ、結局は肝心の真実そのものまでが犠牲にされて惜しいとも思われないようである。事・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・る実情にて候代女述意と称する春風馬堤曲十八首に曰くやぶ入や浪花を出て長柄川春風や堤長うして家遠し堤下摘芳草 荊与棘塞路荊棘何無情 裂裙且傷股渓流石点々 蹈石撮香芹多謝水上石 教儂不沾裙一軒の茶店の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・然れども余は他の方面より、余の此事あるが為に老年の両親を苦しましめ、朋友に苦慮を増さしむるを思へば、自己一身の為に他者を損ふの苦痛をなすに堪へず。遂に彼女に送るに絶交の書を以てせり。されども余の素願は、固より彼女の内部に潜める才能を認め、願・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
出典:青空文庫