・・・おれは唯お前に尋ねるのだ。すぐにこの女の子を送り返すか、それともおれの言いつけに背くか――」 婆さんはちょいとためらったようです。が、忽ち勇気をとり直すと、片手にナイフを握りながら、片手に妙子の襟髪を掴んで、ずるずる手もとへ引き寄せまし・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・江戸は諸国の老若貴賤が集まっている所だけに、敵の手がかりを尋ねるのにも、何かと便宜が多そうであった。そこで彼等はまず神田の裏町に仮の宿を定めてから甚太夫は怪しい謡を唱って合力を請う浪人になり、求馬は小間物の箱を背負って町家を廻る商人に化け、・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・いずれ朝鮮へ帰る前には、もう一度君を訪ねるから。」 私はカッフェの外へ出ると、思わず長い息を吐いた。それはちょうど三年以前、千枝子が二度までも私と、中央停車場に落ち合うべき密会の約を破った上、永久に貞淑な妻でありたいと云う、簡単な手紙を・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・ ッて尋ねると、晩まであるよ、とお言いなさる。 翌日のが無いと言われるより、どんなに辛かったか知れません。お民さん。」 と呼びかけて、もとより答を待つにあらず。「もう、その度にね、私はね、腰かけた足も、足駄の上で、何だって、こう・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・そっちから尋ねるようになれば占めたものだ。ここは佃町よ、八幡様の前を素直に蓬莱橋を渡って、広ッ場を越した処だ、可いか、私は早船の船頭で七兵衛と謂うのだ。」「あの蓬莱橋を渡って、おや、そう、」と考える。「そうよ、知ってるか、姉やは近所・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ その男を訪ねるに仔細はないが、訪ねて行くのに、十年越の思出がある、……まあ、もう少し秘して置こう。 さあ、其処へ、となると、早や背後から追立てられるように、そわそわするのを、なりたけ自分で落着いて、悠々と歩行き出したが、取って三十・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・いつもならば、家におればわずかの間見えなくとも、必ず子どもはどうしたと尋ねるのが常であるのに、その日の午後は、どういうものか数時間の間子どもをたずねなかった。あとから思うと闇の夜に顔も見得ず別れてしまったような気がしてならない。 一・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・当り前ならば、尋ねる友人の家に著いたのであるから、やれ嬉しやと安心すべき筈だに、おかしく胸に不安の波が騒いで、此家に来たことを今更悔いる心持がするは、自分ながら訳が解らなかった。しかし此の際咄嗟に起った此の不安の感情を解釈する余裕は固よりな・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・その頃であった、或る若い文人が椿岳を訪ねると、椿岳は開口一番「能く来なましたネエ」と。禅の造詣が相当に深いこの若い文人も椿岳の「能く来なましたネエ」には老禅匠の一喝よりもタジタジとなった。 椿岳の畸行は書立てれば殆んど際限がないくらい朝・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・お玉ヶ池に住んでいた頃、或人が不斗尋ねると、都々逸端唄から甚句カッポレのチリカラカッポウ大陽気だったので、必定お客を呼んでの大酒宴の真最中と、暫らく戸外に佇立って躊躇していたが、どうもそうらしくもないので、やがて玄関に音なうと、ピッタリ三味・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫