・・・と」と称える僧衣らしい。そう云えば「こんたつ」と称える念珠も手頸を一巻き巻いた後、かすかに青珠を垂らしている。 堂内は勿論ひっそりしている。神父はいつまでも身動きをしない。 そこへ日本人の女が一人、静かに堂内へはいって来た。紋を染め・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・さっと一汐、田越川へ上げて来ると、じゅうと水が染みて、その破れ目にぶつぶつ泡立って、やがて、満々と水を湛える。 汐が入ると、さて、さすがに濡れずには越せないから、此処にも一つ、――以前の橋とは間十間とは隔たらぬに、また橋を渡してある。こ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 人の事は云われないが、連の男も、身体つきから様子、言語、肩の瘠せた処、色沢の悪いのなど、第一、屋財、家財、身上ありたけを詰込んだ、と自ら称える古革鞄の、象を胴切りにしたような格外の大さで、しかもぼやけた工合が、どう見ても神経衰弱という・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・……また合成銀と称えるのを、大阪で発明して銀煙草を並べて売る。「諸君、二円五十銭じゃ言うたんじゃ、可えか、諸君、熊手屋が。露店の売品の値価にしては、いささか高値じゃ思わるるじゃろうが、西洋の話じゃ、で、分るじゃろう。二円五十銭、可えか、・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・一座は化石したようにしんとしてしまって、鼻を去む音と、雇い婆が忍びやかに題目を称える声ばかり。 やがてかすかに病人の唇が動いたと思うと、乾いた目を見開いて、何か求むるもののように瞳を動かすのであった。「水を上げましょうか?」とお光が・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ただ往時の感情の遺した余影が太郎坊の湛える酒の上に時々浮ぶというばかりだ。で、おれはその後その娘を思っているというのではないが、何年後になっても折節は思い出すことがあるにつけて、その往昔娘を思っていた念の深さを初めて知って、ああこんなにまで・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ 彼の実証主義写実主義の現われとしてその筆によって記録された雑多の時代世相風俗資料は近頃ある人達の称える「考現学的」の立場から見て貴重な材料を供給するものであることは周知なことである。例えば当時の富人の豪奢の実況から市井裏店の風景、質屋・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・お念仏を称えるもの、お札を頂くものさえあったが、母上は出入のもの一同に、振舞酒の用意をするようにと、こまこま云付けて居られた。 私は時々縁側に出て見たが、崖下には人一人も居ないように寂として居て、それかと思う烟も見えず、近くの植込の間か・・・ 永井荷風 「狐」
・・・花圃の北方、地盤の稍小高くなった処に御成座敷と称える一棟がある。百日紅の大木の蟠った其縁先に腰をかけると、ここからは池と庭との全景が程好く一目に見渡されるようになっている。苗のまだ舒びない花畑は、その間の小径も明かに、端から端まで目を遮るも・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・これも太古の池で中に湛えるのは同じく太古の水であろう、寒気がする程青い。いつ散ったものか黄な小さき葉が水の上に浮いている。ここにも天が下の風は吹く事があると見えて、浮ぶ葉は吹き寄せられて、所々にかたまっている。群を離れて散っているのはもとよ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫