・・・間もなく私はまっ白な石英の砂とその向うに音なく湛えるほんとうの水とを見ました。 砂がきしきし鳴りました。私はそれを一つまみとって空の微光にしらべました。すきとおる複六方錐の粒だったのです。(石英安山岩か流紋岩 私はつぶやくように・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・ 私は、箇人主義を称える多くの人々の心を疑う。 彼の人々は、至上に自己を愛しながら自らの心を痛め、苦痛、不愉快を日一日と加えて行くではないか。真から一歩一歩遠ざかるが故に煩悶はますのである。 思いがけぬ醜い仮面の陰に箇人主義の真・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・ルネッサンスは、モナ・リザにああいう微笑を湛える人間的自由は与えたが、そのさきの独立人としての婦人の社会的行動は制御していたのであった。 こうしてみればルネッサンスの華やかな芸術も、その時代の人達を完全に解放してはいなかったことが明かで・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・ 護国寺の紅葉や銀杏の黄色い葉が飽和した秋の末の色を湛えるようになった。或日、交叉点よりの本屋によった。丁度、仕入れして来たばかりの主人が、しきりに、いろんな本を帳場に坐っている粋なおかみさんにしまわせている。「こんなのもいい本・・・ 宮本百合子 「「青眉抄」について」
・・・そういう情感そのものが、世界史的規模をその底に湛えるものであって、日本の生活の端々をも瑞々しくとらえ深め描き出してゆく、そういう作家が育って行かなければなるまいと思える。 作家としての自分の心のなかにそういう遠い遠い願望がひそんでいて、・・・ 宮本百合子 「遠い願い」
・・・一族討手を引き受けて、ともに死ぬるほかはないと、一人の異議を称えるものもなく決した。 阿部一族は妻子を引きまとめて、権兵衛が山崎の屋敷に立て籠った。 おだやかならぬ一族の様子が上に聞えた。横目が偵察に出て来た。山崎の屋敷では門を厳重・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫