・・・左れば父母が其子を養育するに、仮令い教訓の趣意は美なりとするも、女子なるが故にとて特に之を厳にするは、男女同症の患者に対して服薬の分量を加減するに異ならず。女子の方に適宜なれば男子の方は薬量の不足を感じ、男子に適量なりとすれば女子の服薬は適・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・の痛みを憐れみ、かつは泣声の喧しきを厭い、これを避けんがために過ちを柱に帰して暫くこれを慰むることならんといえども、父母のすることなすことは、善きも悪しきも皆一々子供の手本となり教えとなることなれば、縦令父母には深き考えなきにもせよ、よくよ・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・余輩断じていわん、家に財あり、父母に才学あらば、十歳前後の子を今の学校に入るるべからず、またこれを他人に託すべからず、仮令いあるいは学校に入れ他人に託するも、全くこれを放ちて父母教育の関係を絶つべからずと。然りといえども実際において人の家に・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・之を喩えば日本の食物は米飯を本にし、西洋諸国はパンを本にして、然る後に副食物あるが如く、学問の大本は物理学なりと心得、先ず其大概を合点して後に銘々の好む所に従い勉む可きを勉む可し。極端を論ずれば兵学の外に女子に限りて無用の学なしと言う可き程・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 一寸親子の愛情に譬えて見れば、自分の児は他所の児より賢くて行儀が可いと云う心持ちは、濁って垢抜けのしない心持ちである。然るに垢抜けのした精美された心持ちで考えると、自分の児は可愛いには違いないが、欠点も仲々ある、どうしても他所の児の方・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・の下すったお手紙はわたしの心の中を光明と熱とで満したようで、わたしはあれを頂く頃は昼中も夢を見ているように、うろうろしておりましたが、あれがどれだけの事であったやら、後で思えばわたくしには分りません。仮令お手紙を上げたとて、虚が信になりもせ・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ほんにほんに人の世には種々な物事が出来て来て、譬えば変った子供が生れるような物であるのに、己はただ徒に疲れてしまって、このまま寝てしまわねばならぬのか。(家来ランプを点して持ち来り、置いて帰り行ええ、またこの燈火が照すと、己の部屋のがらくた・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・尤も老人病弱者にても若し肉食を嫌うものがあればこれに適するような消化のいい食品をつくる事に就ては私共只今充分努力を致して居るのであります。仮令ば蛋白質をば少しく分解して割合簡単な形の消化し易いものを作る等であります。 第二に食事は一つの・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・目に会うぞという教訓を与えようとする場合、たれの心にでも、つまりどんな地位、階級のものにでもめいめいの立場によって生じる主観的な実際行為の正常化を前もって封じて、いおうとする話を受け入れさせるために、例え話の形をとったらしい。こじきの太郎と・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・ 藤村の文豪としての在りかたは、例えてみれば、栖鳳や大観が大家であるありかたとどこか共通したものがあるように思う。大観、栖鳳と云えば、ああ、と大家たることへの畏服を用意している人々が、必ずしも絵画を理解しているとは云えないのと同じである・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
出典:青空文庫