・・・が、そのいら立たしさがまた、他方では、ややもすると、この怖れを眼ざめさせた。――云わば、修理の心は、自分の尾を追いかける猫のように、休みなく、不安から不安へと、廻転していたのである。 ――――――――――――――――――・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・そして一方の親が倒された時には、第四階級という他方の親は、血統の正しからぬ子としてその私生児を倒すであろう。その時になって文化ははじめて真に更新されるのだ。両階級の私生児がいちはやく真の第四階級によって倒されるためには、すなわち真の無階級の・・・ 有島武郎 「片信」
・・・一例を挙げるならば、近き過去において自然主義者から攻撃を享けた享楽主義と観照論当時の自然主義との間に、一方がやや贅沢で他方がややつつましやかだという以外に、どれだけの間隔があるだろうか。新浪漫主義を唱える人と主観の苦悶を説く自然主義者との心・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 尚お、他方には思想の性質上表現の自由を有しないものがある。是等のことは、人間生活を思念することから、即ち、社会のために民衆のために、我等理想のためにということから、はなれて自己満足のために、愛欲の生活のために若くは、自己韜晦のために、・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
・・・この二つの大阪弁の一人称小説を比較してみると、語り手が一方は男であり、他方は女であるという相違だけではなく、まるで同じ土地の言葉とは思えぬくらい違っているのだ。「卍」はいつもの饒舌癖がかえって大阪の有閑マダムがややこしく入り組んだ男女関係の・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・しかし一方はわが子で目の前に見、他方は他国でうわさに聞くのみ。情緒の上には活々とした愛と動機力は無論幼児の手袋を買ってやる方にはたらいている。客観的事実の軽重にしたがって、零細な金を義捐してもその役立つ反応はわからない。一方は子どものいたい・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 一方では、飲酒反対、宗教反対のピオニールのデモを見習った対岸の黒河の支那の少年たちが、同様のデモをやったりするのに、他方どうしても、こちらの、すきを伺っては、穀物のぬすみ喰いにたかってくる雀のように、密輸入と、ルーブル紙幣の密輸出を企・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・ こゝに、泥棒と泥棒が、その盗品を一方が少く、他方が多いのを理由に又、奪い合いしたらどうであろう。如何に少い方が大義名分を立てゝその行為を飾ろうとも、実質が泥棒であることに変りはない。 又、三人の泥棒が、その縄張り地域の広狭から、そ・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・高瀬という友達の言草ではないが、「人間に二通りある――一方の人はじりじり年をとる。他方の人は長い間若くていて急にドシンと陥没ちる」相川は今その言葉を思出して、原をじりじり年をとる方に、自分をドシンと陥没ちる方に考えて見て笑ったが、然し友達も・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ 杉田はむっとしたが、くだらん奴を相手にしてもと思って、他方を向いてしまった。実に癪にさわる、三十七の己を冷やかす気が知れぬと思った。 薄暗い陰気な室はどう考えてみても侘しさに耐えかねて巻き煙草を吸うと、青い紫の煙がすうと長く靡く。・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫