・・・ これに和してモスコフスキーは、同時に立派な鍛冶でブリキ職でそして靴屋であった昔の名歌手を引合いに出して、畢竟は科学も自由芸術の一つであると云っている。しかしアインシュタインが、科学それ自身は実用とは無関係なものだと言明しながら、手工の・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・裁判所だか海軍省だかの煉瓦を背景にした、まだ短夜の眠りのさめ切らぬような柳の梢に強い画趣の誘惑を感じたので、よほど思い切って画架を立てようかと思っていると、もうそこらを歩いている人が意地悪く此方へ足を向け始めるような気がする。ゴーゴルか誰か・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ そのうちに私はふと近くの町の鍛冶屋の店につるしてあった芝刈り鋏を思い出した。例年とちがってことしは暇である。そして病気にさわらぬ程度にからだを使って、過度な読書に疲れた脳に休息を与えたいと思っていたところであったので、ちょうど適当な仕・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・ 家を引き払ってからしばらくの間、鍛冶橋外の「あけぼの」という旅館に泊まっていた。現在鍛冶橋ホテルというのがあるが、ほぼあれと同位置にあったと思われる。「あけぼの」の二階の窓から見おろすと、橋のたもとがすぐ目の下にあった。そこに乞食・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・第一、部分と全体とが仲違いをして音信不通の体である。短夜の明け方の夢よりもつかまえどころのない絵であると思った。そういう絵が院展に限らず日本画展覧会には通有である。一体日本画というものが本質的にそういうものなのか。つまり日本画というものはこ・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
ただ取り止めもつかぬ短夜の物語である。 毎年夏始めに、程近い植物園からこのわたりへかけ、一体の若葉の梢が茂り黒み、情ない空風が遠い街の塵を揚げて森の香の清い此処らまでも吹き込んで来る頃になると、定まったように脳の工合が・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・物一たび去れば遂にかえっては来ない。短夜の夢ばかりではない。 友達が手酌の一杯を口のはたに持って行きながら、雪の日や飲まぬお方のふところ手と言って、わたくしの顔を見たので、わたくしも、酒飲まぬ人は案山子の雪見哉・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・「それから鍛冶屋の前で、馬の沓を替えるところを見て来たが実に巧みなものだね」「どうも寺だけにしては、ちと、時間が長過ぎると思った。馬の沓がそんなに珍しいかい」「珍らしくなくっても、見たのさ。君、あれに使う道具が幾通りあると思う」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・あのインダラ鍛冶屋は。見ろよ、三尺鑿よりゃ六尺鑿の方が、先細と来てやがら」 小林は、鑿の事だと思って、そんな返答をした。「チョッ!」 秋山は舌打ちをした。 ――奴あ、ハムマーを耳ん中に押し込んでやがるんだ、きっと、――そう思・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・ このほかにも俗字の苦情をいえば、逸見もいつみと読み、鍛冶町も鍛冶町と改めてたんやちょうと読むか。あるいはまた、同じ文字を別に読むことあり。こは、その土地の風ならん。東京に三田あり、摂州に三田あり。兵庫の隣に神戸あれば、伊勢の旧城下に神・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
出典:青空文庫