・・・又戒名は帰命院妙乗日進大姉である。僕はその癖僕の実父の命日や戒名を覚えていない。それは多分十一の僕には命日や戒名を覚えることも誇りの一つだった為であろう。二 僕は一人の姉を持っている。しかしこれは病身ながらも二人の子供の母に・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・短躯猪首。台詞がかった鼻音声。 酒が相当にまわって来たころ、僕は青扇にたずねたのである。「あなたは、さっき職業がないようなことをおっしゃったけれど、それでは何か研究でもしておられるのですか?」「研究?」青扇はいたずら児のように、・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・許す、なんて芝居の台詞がかった言葉は、君みたいの人は、僕に向って使えないのだよ。君は、君の身のほどについて、話にならんほどの誤算をしている。ただ、君は年齢も若いのだし、まだ解らぬことが沢山あるのだし、僕にもそういう時代があったのだから黙って・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・芝居の台詞みたいな一種リズミカルな口調でもって、「君、僕は泣いているのじゃないよ。うそ泣きだ。そら涙だ。ちくしょう! みんなそう言って笑うがいい。僕は生れたときから死ぬるきわまで狂言をつづけ了せる。僕は幽霊だ。ああ、僕を忘れないで呉れ! 僕・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・と、キザもキザ、それに私のような野暮な田舎者には、とても言い出し得ない台詞ですが、でも私は大まじめに、その一言を言ってやりたくて仕方が無かったんです。死んでも、ひとのおもちゃになるな、物質がなんだ、金銭がなんだ、と。 思えば思われるとい・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・老人、気をつけ給え、このごろ不良の学生たちを大勢集めて気焔を揚げ、先生とか何とか言われて恐悦がっているようだが、汝は隣組の注意人物になっているのだぞ、老婆心ながら忠告致す、と口速に言いてすなわち之が捨台詞とでも称すべきものならんか、屋台の暖・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・喧嘩のまえには何かしら気のきいた台詞を言わないといけないことになっているが、次郎兵衛はその台詞の選択に苦労をした。型でものを言っては実際の感じがこもらぬ。こういう型はずれの台詞をえらんだ。おまえ、間違ってはいませんか。冗談じゃないかしら。お・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・あとは大姉さんに、お願いいたします。ラプンツェルを大事にしてやって下さい。」と祖母の言ったとおりに書いて、ほっと溜息をついた。 その三 きょうは二日である。一家そろって、お雑煮を食べてそれから長女ひとりは、すぐに・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・何々大姉と刻してある。真逆に墓表とは見えずまた墓地でもないのを見るとなんでもこれは其処で情夫に殺された女か何かの供養に立てたのではあるまいかなど凄涼な感に打たれて其処を去り、館の裏手へ廻ると坂の上に三十くらいの女と十歳くらいの女の子とが枯枝・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・気がついて見ると、それは切符の台紙のボール紙の厚みが著しく薄くなっていたのである。そうして、それから後は現在までずっと薄くなったままで継続しているような気がするのであるが、事実はどうだかたしかでない。 とにかく、その突然の変化の起こった・・・ 寺田寅彦 「破片」
出典:青空文庫