・・・いかほど悲しい事辛い事があっても、それをば決して彼のサラ・ベルナアルの長台詞のようには弁じ立てず、薄暗い行燈のかげに「今頃は半七さん」の節廻しそのまま、身をねじらして黙って鬱込むところにある。昔からいい古した通り海棠の雨に悩み柳の糸の風にも・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・それも句にならぬので、題詩から離別の宴を聯想した。離筵となると最早唐人ではなくて、日本人の書生が友達を送る処に変った。剣舞を出しても見たが句にならぬ。とかくする内に「海楼に別れを惜む月夜かな」と出来た。これにしようと、きめても見た。しかし落・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・ブリュウゲルの写真版のいいのがあってペンさんが貸してくれ、台紙に入れて今日出来上りました。この画家の健全な面が発揮された絵で収穫の図です。色彩も非常に新鮮です。お目にかけられないのがざんねん。 十一月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・マーシャを演じる俳優は、少い台詞と台詞との間に、内へ内へと拡り燃え活動しているマーシャの魂全体を捕えていなければならない。人間として密度の細かい心の疲れる性質と思われる。 芸術座の人々が、自分達の持って生れた言葉でやってさえ、なかなかう・・・ 宮本百合子 「「三人姉妹」のマーシャ」
・・・一日に一銭でも、二銭でも、切手を買って貼りつけていって、台紙が一杯につまると、郵便局へもってゆく。そんなやりかたであったように思う。その頃は、十銭の郵便切手を買うことは一年のうちにめったになかった。十銭の切手は外国郵便につかわれたのだから。・・・ 宮本百合子 「郵便切手」
・・・政治なんかに用はない、と憤りをひそめた家庭婦人の捨台詞こそ、どんなに、これまでの「政治」に私たち全人民が見切りをつけているかということの端的なあらわれであると思う。本当に、私たちにとって、これまでの政治は一つも用がなくなっているのである。・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫