・・・そこに、着物の上からもかすかにわかる肉の凹みがあった。大腿のところに、木刀か竹刀かで、内出血して、筋肉の組織がこわされるまで擲り叩いて重吉を拷問した丁度その幅に肉が凹んでいて、今も決して癒らずのこっているのであった。 ・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・小才覚があるので、若殿様時代のお伽には相応していたが、物の大体を見ることにおいてはおよばぬところがあって、とかく苛察に傾きたがる男であった。阿部弥一右衛門は故殿様のお許しを得ずに死んだのだから、真の殉死者と弥一右衛門との間には境界をつけなく・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・酒井家は今年四月に代替がしているのである。 酒井家から役人が来て、三人の口書を取って忠学に復命した。 翌十四日の朝は護持院原一ぱいの見物人である。敵を討った三人の周囲へは、山本家の親戚が追々馳せ附けた。三人に鵜殿家から鮨と生菓子とを・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・それから宝暦十一年尾州家では代替があって、宗睦の世になったが、るんは続いて奉公していて、とうとう明和三年まで十四年間勤めた。その留守に妹は戸田の家来有竹の息子の妻になって、外桜田の邸へ来たのである。 尾州家から下がったるんは二十九歳で、・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・彼に続いて一大隊が、一聯隊が、そうして敵軍は崩れ出した。ナポレオンの燦然たる栄光はその時から始まった。だが、彼の生涯を通して、アングロサクソンのように彼を苦しめた田虫もまた、同時にそのときの一兵卒の銃から肉体へ移って来た。 ナポレオンの・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・しかし大体の観察としては誤らないと思う。洋画家が日本画家のような大きな画題を捕えないのは、一つには目前に在るものの美しさに徹するということが、十分彼らの心情を充たすに足る大事業であるためであり、二つには目前の自然をさえ十分にコナし得ないもの・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫