・・・例えば隣家は頻りに繁昌して財産も豊なるに、我家は貧乏の上に不仕合のみ打続く、羨ましきことなり憎らしきことなり、隣翁が何々の方角に土蔵を建てゝ鬼瓦を上げたるは我家を睨み倒さんとするの意なり、彼の土蔵が火事に焼けたらば面白からん、否な人の見ぬ間・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ たとえば政府にて、学校を立てて生徒を教え、大蔵省を設けて租税を集むるは、政府の政なり。平民が、学塾を開いて生徒を教え、地面を所有して地代小作米を取立つるは、これを何と称すべきや。政府にては学校といい、平民にては塾といい、政府にては大蔵・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・但だ、自分が其の間に種々と考えて見ると、一体、自分の立てた標準に法って翻訳することは、必ずしも出来ぬと断言はされぬかも知れぬが、少くとも自分に取っては六ヶ敷いやり方であると思った。何故というに、第一自分には日本の文章がよく書けない、日本の文・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・あなたをお呼掛け申しまする、お心安立ての詞を、とうとう紙の上に書いてしまいました。あれを書いてしまいましたので、わたくしは重荷を卸したような心持がいたします。それにあなたがわたくしの所へいらっしゃった時の事を、まるでお忘れになるはずは無いよ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ええ、声を立てようにも声も立てられぬわい。(へたへたと尻餅命の空気が脱け出てしまうような。どうぞ帰ってくれい。誰がお前を呼んだのか。帰れ帰れ。誰がお前をこの内に入れたのか。死。立て。その親譲りの恐怖心を棄ててしまえ。わしは何もそう気味の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・の門前ではたと倒れた、それを如何にも残念と思うた様子で、喘ぎ喘ぎ頭を挙げて見ると、目の前に鼻の欠けた地蔵様が立ってござるので、その地蔵様に向いて、未来は必ず人間界に行かれるよう六道の辻へ目じるしの札を立てて下さいませ、この願いが叶いましたら・・・ 正岡子規 「犬」
・・・が先日ここで落ちあった二人の話で見ると、石塔は建てたが遺稿は出来ないという事だ。本屋へ話したが引き受けるという者はなし、友達から醵金するといっても今石塔がやっと出来たばかりでまた金出してくれともいえず、来年の年忌にでもなったらまた工夫もつく・・・ 正岡子規 「墓」
・・・みちから一間ばかり低くなって蘆をこっちがわに塀のように編んで立てていたのでいままで気がつかなかったのだ。老人は蘆の中につくられた四角なくぐりを通って家の横に出た。二人はみちから家の前におりた。(とき、とき、お湯持って来老人は叫んだ。家の・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・「ここに家建ててもいいかあ。」「ようし。」森は一ぺんにこたえました。 みんなはまた声をそろえてたずねました。「ここで火たいてもいいかあ。」「いいぞお。」森は一ぺんにこたえました。 みんなはまた叫びました。「すこし・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・ 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱をだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。 みんなもほんとうにそう思いま・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
出典:青空文庫