・・・竹藪をかぶった太十の家は内も一杯煤だらけで昼間も闇い程である。天井がないので真黒な太い梁木が縦横に渡されて見える。乾いた西風の烈しい時は其煤がはらはらと落ちる。鼠のためには屈竟な住居である。それでも春から秋の間は蛇が梁木を渡るので鼠が比較的・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・するとその鏡の奥に写ったのが――いつもの通り髭だらけな垢染みた顔だろうと思うと――不思議だねえ――実に妙な事があるじゃないか」「どうしたい」「青白い細君の病気に窶れた姿がスーとあらわれたと云うんだがね――いえそれはちょっと信じられん・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 深谷は便所に入ると、ドアを五分ばかり閉め残して、そのすき間から薄暗い電燈に照らし出された、ガランとした埃だらけの長い廊下をのぞいていた。「やっぱり便所だったのか。それにしてはなんだって人の寝息なんぞうかがいやがるんだろう。妙な奴だ・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・頭巾の附いた、鼠色の外套の長いのをはおっているが、それが穴だらけになっている。爺いさんはパンと腸詰とを、物欲しげにじっと見ている。 一本腕は何一つ分けてやろうともせずに、口の中の物をゆっくり丁寧に噬んでいる。 爺いさんは穹窿の下を、・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・甲板は人だらけだ。前には九州の青い山が手の届くほど近くにある。その山の緑が美しいと来たら、今まで兀山ばっかり見て居た目には、日本の山は緑青で塗ったのかと思われた。ここで検疫があるのでこの夜は碇泊した。その夜の話は皆上陸後の希望ばかりで、長く・・・ 正岡子規 「病」
・・・それは顔じゅうしわだらけで、くちばしが大きくて、おまけにどこかとかげに似ているのです。 けれどもこの強い兎の子は、決してその手をはなしませんでした。怖ろしさに口をへの字にしながらも、それをしっかりおさえて、高く水の上にさしあげたのです。・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・ 壁まで蓮の花だらけだよ。この人ったら」「買わねえよ――何云ってるんだ」「強情張るにも程がある。ほら、ほら! そんなにあるのに無いって私をだますのか、ほら、ほら! ああ、蓮だらけだよう!」と、彼女はおいおい泣いて亭主にかじりつい・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ そのうち大阪に咳逆が流行して、木賃宿も咳をする人だらけになった。三月の初に宇平と文吉とが感染して、熱を出して寝た。九郎右衛門は自分の貰った銭で、三人が一口ずつでも粥を啜るようにしていた。四月の初に二人が本復すると、こん度は九郎右衛門が・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・おまけに背中は曲がって、毛だらけで、目も鼻もあるかないか分からないようで、歯が脱けていて。 女。おやおや。 男。あなただってあれが御亭主でないとはおっしゃられないでしょう。 女。ええ。宅の主人ですとも。 男。わたくしはあなた・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・た、見るも情ない死骸が数多く散ッているが、戦国の常習、それを葬ッてやる和尚もなく、ただところどころにばかり、退陣の時にでも積まれたかと見える死骸の塚が出来ていて、それにはわずかに草や土やまたは敝れて血だらけになッている陣幕などが掛かッている・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫