・・・馬場も立ちどまり、両腕をだらりとさげたまま首を前へ突きだして、私の女をつくづくと凝視しはじめたのである。やがて、振りかえりざま、叫ぶようにして言った。「やあ、似ている。似ている」 はっとはじめて気づいた。「いいえ、菊ちゃんにはか・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・天平時代の仏像の顔であって、しかも股間の逸物まで古風にだらりとふやけていたのである。太郎は落胆した。仙術の本が古すぎたのであった。天平のころの本であったのである。このような有様では詮ないことじゃ。やり直そう。ふたたび法のよりをもどそうとした・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・よれよれに寝くたれた、しかも不つりあいに派手な浴衣を、だらしなく前上がりに着て、後ろへはほどけかかった帯の端をだらりとたらしている。頭髪もすずめの巣のように乱れているが、顔には年に似合わぬ厚化粧をしている。何かの病気で歩行が困難らしい。妙な・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・藁帽に麻の夏服を着ているのはいいが、鼻根から黒い布切れをだらりとたらして鼻から口のまわりをすっかり隠している。近づくと帽子を脱いで、その黒い鼻のヴェールを取りはずしはしたが、いっこう見覚えのない顔である。「私はNの兄ですが、いつかお尋ねした・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・よく見ると右の腕はつけ元からなくて洋服の袖は空しくだらりと下がっている。一足二足進み寄るのを見ると足も片方不随であるらしい。 彼は私の顔を見て何遍となく頭を下げた。そしてしゃ嗄れた、胸につまったような声で、何事かしきりに云っているのであ・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・いつも板裏草履をはいて、帯のはしをだらりとさげて、それにひどい内股なので、乞食のようにみえる。それをまた意識して相手にも自分にもわざとこすりつけてゆくようなところがあったが、「ボル」が入ってきてから一層ひどくなった。「ホホン、そりゃええ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・赤は抱かれて後足をだらりと垂れて首をすっと低くして居た。荒繩で括った麻の空袋を肩から引っ懸けた犬殺しの後姿が見えなくなってから太十は番小屋へもどった。赤は太十の手を離れるとすぐにさっきの処へ駈けていって棄てられた煎餅を噛った。太十はすぐに喚・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ お客さまの中の一人がだらりと振り向いて返事しました。「ハッハッハ。とっこべとらこだらおれの方で取って食ってやるべ」 その語がまだ終らないうちに、神出鬼没のとっこべとらこが、門の向うの道のまん中にまっ白な毛をさか立てて、こっちを・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・白い二本の手は又先の様にだらりと両わきに下った、男はうつむいた目を上げてチラッと女を見あげて又食入った様に下に向いた目を動かさなかった。お龍はジッとうす闇の中にうく男のかおを見た。白い細い指が顔をおさえて指と指とのすき間にかすかな悲しみの音・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ 前にだらりっとさげた布をあげると目玉のない鼻のないものが出てガタガタガタと笑ってはひしひと男にせまって来た。 その呪われたものの様な影の次にはまっしろな雪がキラキラ闇の中に光って居る。 あくんで居る男の足はいてついた様になって・・・ 宮本百合子 「どんづまり」
出典:青空文庫