・・・彼は天命を負うて俳諧壇上に立てり。されども世は彼が第二の芭蕉たることを知らず。彼また名利に走らず、聞達を求めず、積極的美において自得したりといえども、ただその徒とこれを楽しむに止まれり。 一年四季のうち春夏は積極にして秋冬は消極なり。蕪・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・うすい写真の中でも、同志江口が白いカラーをはっきりと、いつもの少し体をねじったような姿勢で壇上に立っているところがある。押し合う会集。「暴圧の意義及びそれに対する逆襲を我々はいかに組織すべきか」という巻頭論文がのっている。貪るように読んだ。・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・中国から帰って来た教育家たちが、教会で神学作興資金の演説をしたあとでは、きまって天錫を壇上に呼び上げて、会衆に紹介する。「『之が、我々の教育で出来た中国の青年です。ごらん下さい』と云わんばかりです。これは猿まわしみたいなものではないですか」・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・しかし現在日本のブルジョア文壇が、世界的新興勢力を文化的に代表するプロレタリア文学に対立している以上、文壇的ブロックはただいわゆるどこに在るか判らない文壇という壇上に止ってはいない。ハッキリ反動勢力の御用をつとめていることになる。無意識的に・・・ 宮本百合子 「文壇はどうなる」
・・・先祖は細川高国の手に属して、強弓の名を得た島村弾正貴則である。享禄四年に高国が摂津国尼崎に敗れたとき、弾正は敵二人を両腋に挟んで海に飛び込んで死んだ。弾正の子市兵衛は河内の八隅家に仕えて一時八隅と称したが、竹内越を領することになって、竹内と・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・上杉家は弾正大弼斉定、浅野家は安芸守斉賢の代である。 父伊兵衛は恐らくは帳簿と書出とにしか文字を書いたことはあるまい。然るに竜池は秦星池を師として手習をした。狂歌は初代弥生庵雛麿の門人で雛亀と称し、晩年には桃の本鶴廬また源仙と云った。ま・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・ この書は、それ自身の標榜するところによると、武田信玄の老臣高坂弾正信昌が、勝頼の長篠敗戦のあとで、若い主人のために書き綴ったということになっている。内容は、武田信玄の家法、信玄一代記、家臣の言行録、山本勘助伝など雑多であるが、書名から・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫