・・・夫が妻の辛苦を余処に見て安閑たるこそ人倫の罪にして恥ず可きのみならず、其表面を装うが如きは勇気なき痴漢と言う可し。一 女子少しく成長すれば男子に等しく体育を専一とし、怪我せぬ限りは荒き事をも許して遊戯せしむ可し。娘の子なるゆえにとて自宅・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 芸術家の緊張、その弛緩の深さを知って居る自分は、大きい引潮の力を感じられる。 恋愛に面し、人によって、そとから、人生の明るい半面のみを感じ得る者、又消極のみを感じ得る者、消極を先ず見、後、そこを通して奇異な光明を認める者、等の差、・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・米国の箇人的教育は、各種の箇性を重んじながら、其の功利主義の伝統的暗示、或は宣伝に依て、箇人的気質が、公衆の不文律に順応して行ける程度の寛和、或は弛緩を加えて居ります。従って、群集の各人は、箇性の力に明かな局限を認める事に馴れ、其の局限の此・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・何故なら、もし一般の人々の感情が、ひと頃のように、プロレタリア作家の間でさえいわゆる転向しない者は間抜けのように見られていたままの弛緩し切った状態であったならば、両氏は、転向作家ボイコット提唱を可能にする社会的感情のよりどころを、つかむこと・・・ 宮本百合子 「冬を越す蕾」
・・・自分の生活の弛緩を責める代わりに自分がより高くならないことでイライラする。そうしてある悪魔の手を、――あるいは不運と不幸を呪おうとする。何という軽率だろう。もしそれが自分から出た事ならば、私はただ首を垂れるほか仕方がないではないか。私は自分・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫