・・・その六十里の海岸を町から町へ、岬から岬へ、岩礁から岩礁へ、海藻を押葉にしたり、岩石の標本をとったり、古い洞穴や模型的な地形を写真やスケッチにとったり、そしてそれを次々に荷造りして役所へ送りながら、二十幾日の間にだんだん南へ移って行きました。・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ ○枯木雪につつまれた山肌 茶と色との配色 然し女性的な結晶のこまかさというようなものあり ○山と盆地 ○下日部辺の一種複雑な面白い地形 然し小さし ○信州に入ると常磐木が多い。山迚も大きい感。常磐木があるので黒と白の配色。・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・子供の時分の田端の駅は、思えば面白い地形に在ったものだ。 汽車は、平らに低いところを走っている。だから駅も低いところに在らねばならない。そういうわけで、田端の駅は、その高台からまるで燈台の螺旋階段のように急な三折ほどの坂道で、ダダダダと・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・ 見積りも面倒なく済んで、地形にとりかかった。石川の経験ではすらりと進み過ぎたくらいの仕事であった。実を云えば、見積書をもって行って手金を受取るまで、石川は大して当にしていなかった。それほど話しの切り出された抑々から何だか皆の心持が単純・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・十四歳のとき忠利に召し出されて、知行百石の側役を勤め、食事の毒味をしていた。忠利は病が重くなってから、橋谷の膝を枕にして寝たこともある。四月二十六日に西岸寺で切腹した。ちょうど腹を切ろうとすると、城の太鼓がかすかに聞えた。橋谷はついて来てい・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ さて今年御用相片づき候えば、御当代に宿望言上いたし候に、已みがたき某が志を御聞届け遊ばされ候勤めているうちに、寛延三年に旨に忤って知行宅地を没収せられた。その子宇平太は始め越中守重賢の給仕を勤め、後に中務大輔治年の近習になって、擬作高・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・判決は「心得違の廉を以て、知行召放され、有馬左兵衛佐允純へ永の御預仰付らる」と云うことであった。伊織が幸橋外の有馬邸から、越前国丸岡へ遣られたのは、安永と改元せられた翌年の八月である。 跡に残った美濃部家の家族は、それぞれ親類が引き取っ・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・真率な、無邪気な、そして公々然とその愛するところのものを愛し、知行一致の境界に住している人には、はるかに劣っている。己はこの己に酌をしてくれる芸者にも劣っている」 こう思いつつ、頭を挙げて前を見れば、もう若い芸者はいなかった。それに気が・・・ 森鴎外 「余興」
・・・たとえば、けちだと言われまいと思って知行を多く与える類である。強い大将ならば、必要あって物を蓄える時には、貪欲と言われようと、意地ぎたないと言われようと、頓着しない。知行は人物や忠功を見て与えるのであって、外聞とかかわりはない。 外聞に・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫