・・・その頃生活派と呼ばれ、一様に三十歳を越して、奥様、子供、すでに一家のあるじ、そうして地味の小説を書いて、おとなしく一日一日を味いつつ生きて居る一群の作家があって、その謂わば、生活派の作家のうちの二、三人が、地平の家のまわりに居住していた。も・・・ 太宰治 「喝采」
・・・ そのように、快活で愛嬌のよい戸石君に比べると、三田君は地味であった。その頃の文科の学生は、たいてい頭髪を長くしていたものだが、三田君は、はじめから丸坊主であった。眼鏡をかけていたが、鉄縁の眼鏡であったような気がする。頭が大きく、額が出・・・ 太宰治 「散華」
・・・痩せて小柄で色が浅黒く、きりっとした顔立ちでしたが、無口で、あまり笑わず、地味で淋しそうな感じのするひとでした。「こちら、音楽家でしょう?」 僕の焼酎を飲む手つきを、ちらと見て、おかみはそう一こと言いました。来たな! と僕は思いまし・・・ 太宰治 「女類」
・・・ 笠井さんは、それまでの不断の地味な努力を、泣きべそかいて放擲し、もの狂おしく家を飛び出し、いのちを賭して旅に出た。もう、いやだ。忍ぶことにも限度が在る。とても、この上、忍べなかった。笠井さんは、だめな男である。「やあ、八が岳だ。やつが・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・特許局に隠れていた足掛け八年の地味な平和の生活は、おそらく彼のとっては意義の深いものであったに相違ないが、ともかくも三十一にして彼は立って始めて本舞台に乗り出した訳である。一九一一年にはプラーグの正教授に招聘され、一九一二年に再びチューリヒ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・このリンクの御客が概して地味で真面目で威張らない人の多いせいかもしれない。 いつか、このキャディのうちの一人がリンクの池で鮒を一匹つかまえて、ボールを洗う四角な水桶の中に入れておいて、一廻りした後に取りに来たらもう見えなかったそうである・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・そこらの氷店へはいって休んだ時には、森の中にあふるる人影がちらついて、赤い灯や青い旗を吹く風も涼しく、妹婿がいつもの地味な浴衣をくつろげ姪にからかいながらラムネの玉を抜いていた姿がありあり浮ぶ。あの時の氷店の跡などももうたしかに其処とも分ら・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・もう一人ねずみ色の地味な服を着た色の白い鼻の高い若い女は沈鬱な顔をしてマンドリンをかき鳴らしている。船首に一人離れて青い服を着た土人の子供がまるで無関係な人のようにうずくまっていた。このような人々の群れの中にただ一人立ち上がって、白張りの蝙・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・そのうちで地味に適応したものが栄えて花実を結ぶであろう。人にすすめられた種だけをまいて、育たないはずのものを育てる努力にひと春を浪費しなくてもよさそうに思われる。それかといって一度育たなかった種は永久に育たぬときめることもない。前年に植えた・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ それは色のくすんだ、縞目もわからないような地味なものであった。「こんな地味なもの著るの。僕なんかにいいもんだ」「私は人のように派手なこと嫌いや。それにたんともないさかえ、こんなものなら一枚看板でも目立たんで、いいと思って」・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫