・・・ 支柱を惜しがって使わねえからこんなことになっちゃうんだ!」武松は死者を上着で蔽いながら呟いた。「俺れゃ、今日こそは、どうしたって我慢がならねえ! まるでわざと殺されたようなもんだぞ!」「せめて、あとの金だけでも、一文でもよけに取ってや・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・何でも彼でも売っちゃうのです。乗って来た自転車を、其のまま売り払うのは、まだよい方で、おじいさんが懐からハアモニカを取り出して、五銭に売ったなどは奇怪でありました。古い達磨の軸物、銀鍍金の時計の鎖、襟垢の着いた女の半纏、玩具の汽車、蚊帳、ペ・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ヒステリイを起しちゃうんだから仕様が無い。話があるんなら、話を聞くよ。だらしが無いねえ、君は。僕を、どこかへ引っぱって行こうというのか?」 見ると、彼は、いつのまにやら、ちゃんと下駄をはいている。買って間も無いものらしく、一見したところ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶えしちゃう。 朝は、意地悪。「お父さん」と小さい声で呼んでみる。へんに気恥ずかしく、うれしく、起きて、さっさと蒲団をたたむ。蒲団を持ち上げるとき、よいしょ、と掛声し・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・あたし、ちびだから、薙刀に負けちゃう。」 ふふ、と数枝は笑った。数枝の気嫌が直ったらしいので、さちよは嬉しく、「ねえ。あたしの言うこと、もすこしだまって聞いていて呉れない? ご参考までに。」「いうことが、いちいち、きざだな。歴史・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・踏み殺されちゃうぜ。いくら暑いからって、そんな処へもぐり込む奴があるもんかい。オイ」 と云いながら、彼は、ロープを揺ぶった。 が、彼は豆粕のように動かなかった。 見習は、病人の額に手を当てた。 死人は、もう冷たくなりかけてい・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・ だから私時々堪まらなくなっちゃうの、一日まるっきり口を利かないで御飯をたべることがよくあるのよ」 ふき子はお対手兼家政婦の岡本が引込んでいる裏座敷の方を悩ましそうに見ながら訴えた。「弱いんじゃない?」「さあ……女中と喧嘩して私・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・婆さんの連れは然し、「戸に近い方がいいものね、ばあや、洋傘置いちゃうといいわ、いそいでお座りよ。上へのっかっちゃってさ」 窓から覗き込んで指図する。婆さんは、けれども矢張り洋傘を掴んだまま、汚れた手拭で顔を拭いた。「降りゃしない・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・ たまに、「ちょっとまあ腰でもかけといき、くたびれちゃうわね、まだちっちゃいんだもの」 などと云われることもなくはなかった。そんなとき一太の竹籠にはたった二三本の納豆の藁づとと辛子壺が転っているばかりだ。家にいるのは女ばかりで、・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ほんとに嫌になっちゃうわ、ねえ、という丈をくりかえしていてすむものでしょうか。 こういう社会全体との関係で起っている事柄について、私たちが、今何を考えたからと云って、急に省線の車台をふやすことは出来ません。同時に、其だからと云って、考え・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
出典:青空文庫