・・・耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。 秋は、・・・ 太宰治 「ア、秋」
・・・しばらくすると、末の男の児が、かアちゃんかアちゃんと遠くから呼んできて、そばに来ると、いきなり懐の乳を探った。まアお待ちよと言ったが、なかなか言うことを聞きそうにもないので、洗濯の手を前垂れでそそくさと拭いて、前の縁側に腰をかけて、子供を抱・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ロンドンからの便りでは、新聞や通俗雑誌くらいしか売っていない店先にも、ちゃんとアインシュタインの著書だけは並べてあるそうである。新聞の漫画を見ていると、野良のむすこが親爺の金を誤魔化しておいて、これがレラチヴィティだなどと済ましているのがあ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・死骸はもう棺のなかへ収まって、花も備えてあれば、盛物もしてある。ちゃんと番人までつけて、線香を絶やさないようにしてある。 そこで上官の方にもお目にかかって、忰の死んだ始末も会得の行くように詳しくお話し下すったんですよ。その時お目にかかっ・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・三吉にはわかった。三吉にちゃんとしたボル理論を体得させようというのだろう。小野が東京へでてハッキリとアナーキストとして活動しはじめ、故郷へその影響を及ぼしはじめたのと、その正反対の道なのだ。三吉は梯子段にうつむいたまま、ふちなし眼鏡も、室か・・・ 徳永直 「白い道」
・・・殊に自分が呱々の声を上げた旧宅の門前を過ぎ、その細密い枝振りの一条一条にまでちゃんと見覚えのある植込の梢を越して屋敷の屋根を窺い見る時、私は父の名札の後に見知らぬ人の名が掲げられたばかりに、もう一足も門の中に進入る事ができなくなったのかと思・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・御話をする題目はちゃんと東京表できめて参りました。 その題目は「現代日本の開化」と云うので、現代と云う字は下へ持って来ても上へ持って来ても同じ事で、「現代日本の開化」でも「日本現代の開化」でも大して私の方では構いません。「現代」と云う字・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・それに俺に食ってかかったって、仕方がないじゃないか、な、ちゃんと嘆願さえすれば、船長だって涙金位寄越さないものでもないんだ。それを、お前が無茶云うから、船長だって憤るんだ」 セコンドメイトは、栗のきんとん見たいな調子で云った。 その・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・柳橋の三浦屋サ先日高尾が無理心中をしたその跡釜へ今日小紫を抱えたのサもっとも小紫は吉原の大文字に居たのだが昨日自由廃業したと、チャント今朝の『二六』に出て居るじゃないか、とまじめにいうと、アラいやだよ人を馬鹿にしてる、あなたはきっといい処が・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・僕は郡で調べたのをちゃんと写して予察図にして持っていたからほかの班のようにまごつかなかった。けれどもなかなかわからない。郡のも十万分一だしほんの大体しか調ばっ(ていない。猿ヶ石川の南の平地に十時半ころまでにできた。それからは洪積層が旧天王の・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
出典:青空文庫