・・・起きて着物をちゃんとして出てきたものらしい。ややあって、「あなたはこの節は少しはおよろしい方でございますか」と聞く。自分の事は何でもすっかり知っているような口ぶりである。「どうもやっぱり頭がはきはきしません。じつは一年休学することに・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・あの時お前さんがわたしの言った通りにすると、今はちゃんと家持になっているのね。去年のクリスマスにはあの約束をおしの人の二親のいる、田舎の内にお前さんは行っていて、そういったっけね。もうもう芝居なんぞは厭だ。こんな田舎で気楽に暮したいとそうい・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・「キクちゃん。こないだ、あなたの未来の旦那さんに逢ったよ。」「そう? どうでした? すこうし、キザね。そうでしょう?」「まあ、でも、あんなところさ。そりゃもう、僕にくらべたら、どんな男でも、あほらしく見えるんだからね。我慢しな。・・・ 太宰治 「朝」
・・・「あなたは、クリスチャンですか。」「教会には行きませんが、聖書は読みます。世界中で、日本人ほどキリスト教を正しく理解できる人種は少いのではないかと思っています。キリスト教に於いても、日本は、これから世界の中心になるのではないかと思っ・・・ 太宰治 「一問一答」
親という二字と無筆の親は言い。この川柳は、あわれである。「どこへ行って、何をするにしても、親という二字だけは忘れないでくれよ。」「チャンや。親という字は一字だよ。」「うんまあ、仮りに一字が三字であってもさ。」・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・たおしゃべりはじめて、千里の馬、とどまるところなき言葉の洪水、性来、富者万燈の御祭礼好む軽薄の者、とし甲斐もなく、夕食の茶碗、塗箸もて叩いて、われとわが饒舌に、ま、狸ばやしとでも言おうか、えたい知れぬチャンチャンの音添えて、異様のはしゃぎか・・・ 太宰治 「創生記」
・・・しばらくすると、末の男の児が、かアちゃんかアちゃんと遠くから呼んできて、そばに来ると、いきなり懐の乳を探った。まアお待ちよと言ったが、なかなか言うことを聞きそうにもないので、洗濯の手を前垂れでそそくさと拭いて、前の縁側に腰をかけて、子供を抱・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・自分はどうかこうか世間並の坊ちゃんで成人し、黒田のような苦労の味をなめた事もない。黒田の昔話を小説のような気で聞いていた。月々郷里から学資を貰って金の心配もなし、この上気楽な境遇はなかった筈であるが、若い心には気楽無事だけでは物足りなかった・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・黒田はこの児を大変に可愛がってエンチャン/\と親しんでいた。父親が金をこしらえあげた暁にこの児の運命はどうなるだろうかと話し合った事もある。 ジュセッポの家で時ならぬ嵐が起って隣家の耳をそばだてさせる事も珍しくない。アクセントのおかしい・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・同様に映画においても、たとえば単調なる「チャンバラ」の場面はいくら続いても、それは結局ただ一つのショットとしての効果しかない。これに反してたとえ識閾の上では単調な画面を繰り返していても、その底を流れる情緒の加速運動があれば観客は知らず知らず・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
出典:青空文庫