・・・そこで彼等はまず神田の裏町に仮の宿を定めてから甚太夫は怪しい謡を唱って合力を請う浪人になり、求馬は小間物の箱を背負って町家を廻る商人に化け、喜三郎は旗本能勢惣右衛門へ年期切りの草履取りにはいった。 求馬は甚太夫とは別々に、毎日府内をさま・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ちょうどホテルの給仕などの長靴を持って来るのと同じことである。半三郎は逃げようとした。しかし両脚のない悲しさには容易に腰を上げることも出来ない。そのうちに下役は彼の側へ来ると、白靴や靴下を外し出した。「それはいけない。馬の脚だけはよして・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・「こっちは八坂寺を出ると、町家の多い所は、さすがに気がさしたと見えて、五条京極辺の知人の家をたずねました。この知人と云うのも、その日暮しの貧乏人なのでございますが、絹の一疋もやったからでございましょう、湯を沸かすやら、粥を煮るやら、いろ・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・N君は泥まみれの長靴をはき、外套に雨の痕を光らせていた。自分は玄関に出迎えたまま、これこれの事情のあったために、何も書けなかったと云う断りを述べた。N君は自分に同情した。「じゃ今度はあきらめます」とも云った。自分は何だかN君の同情を強いたよ・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・ 道の両側はいつのまにか、ごみごみした町家に変っている。塵埃りにまみれた飾り窓と広告の剥げた電柱と、――市と云う名前はついていても、都会らしい色彩はどこにも見えない。殊に大きいギャントリイ・クレエンの瓦屋根の空に横わっていたり、そのまた・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・Kの如き町家の子弟が結城紬の二枚襲か何かで、納まっていたのは云うまでもない。僕は、この二人の友人に挨拶をして、座につく時に、いささか、tranger の感があった。「これだけ、お客があっては、――さんも大よろこびだろう。」Kが僕に云った・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
一森の中。三人の盗人が宝を争っている。宝とは一飛びに千里飛ぶ長靴、着れば姿の隠れるマントル、鉄でもまっ二つに切れる剣――ただしいずれも見たところは、古道具らしい物ばかりである。第一の盗人 そのマントルをこっちへよこせ・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・と、外は薄雲のかかった月の光が、朦朧と漂っているだけで、停留場の柱の下は勿論、両側の町家がことごとく戸を鎖した、真夜中の広い往来にも、さらに人間らしい影は見えません。妙だなと思う途端、車掌がベルの綱を引いたので、電車はそのまま動き出しました・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・帽子を被って二重マントを着た、護謨長靴ばきの彼れの姿が、自分ながら小恥しいように想像された。 とうとう播種時が来た。山火事で焼けた熊笹の葉が真黒にこげて奇跡の護符のように何所からともなく降って来る播種時が来た。畑の上は急に活気だった。市・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・その時百姓は穿いて居る重い長靴を挙げて、犬の腋腹を蹴た。「ええ。畜生奴、うぬまで己の側へ来やがるか。」犬は悲しげに啼いた。これはさ程痛かったためではないが、余り不意であったために泣いたのだ。さて百姓は蹣跚きながら我家に帰った。永い間女房・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
出典:青空文庫