長袖善く舞い多銭善く商う
《「韓非子」五蠧から》長袖の衣を着た人は舞うと美しく見え、多くの銭を持つ者は商売がうまい。素質と条件に恵まれた者が成功しやすいことのたとえ。
ちょうしゅうし【朝集使】
律令制で、四度 (しど) の使いの一。諸国からの朝集帳を中央に送った使い。
ちょうしゅうしゃりゅう【長袖者流】
公卿や僧侶などのたぐい。また、それらの人々の流儀。
ちょうしゅうせいばつ【長州征伐】
幕末、江戸幕府が二度にわたり、長州藩を攻めた戦い。幕府は蛤御門 (はまぐりごもん) の変を理由に、元治元年(1864)長州へ出兵したが、外国の連合艦隊の下関来襲で危機に立っていた長州藩が恭順したので戦わずに撤兵。のち、長州藩首脳のこの処置に不満を抱いた高杉晋作らの強硬派が恭順派を一掃、幕府に対抗する姿勢を示した。幕府は慶応2年(1866)長州再征を行ったが敗退し、撤兵。以後、幕府の権威は急速に失われた。
ちょうしゅうちょう【朝集帳】
律令制で、四度 (しど) の公文 (くもん) の一。国司が毎年1回中央政府に報告するため朝集使に持参させた政務報告の書類。
ちょうしゅうどう【朝集堂】
大内裏朝堂院の南域にあった建物。応天門を入って東西に相対してあり、大礼のとき百官が参集して待機した所。朝集殿。
ちょうしゅうぶろ【長州風呂】
円筒形の鋳鉄の釜の周囲を、耐火煉瓦 (れんが) ・コンクリート・漆喰 (しっくい) などで固めて据え付けにした風呂。五右衛門風呂ともいう。
ちょうしゅうごけつ【長州五傑】
⇒長州ファイブ
ちょうしゅうファイブ【長州ファイブ】
幕末期の文久3年(1863)に長州藩が幕府に隠して英国に派遣した、伊藤俊輔(博文)・井上聞多(馨)・野村弥吉(井上勝)・山尾庸三・遠藤謹助の5人の藩士の通称。長州五傑。