・・・忍ヶ岡と太郎稲荷の森の梢には朝陽が際立ッて映ッている。入谷はなお半分靄に包まれ、吉原田甫は一面の霜である。空には一群一群の小鳥が輪を作ッて南の方へ飛んで行き、上野の森には烏が噪ぎ始めた。大鷲神社の傍の田甫の白鷺が、一羽起ち二羽起ち三・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・或日父母に従って馬車を遠く郊外に馳せ、柳と蘆と桑ばかり果しなくつづいている平野の唯中に龍華寺という古刹をたずね、その塔の頂に登った事を思返すと、その日はたしかに旧暦の九月九日、即ち重陽の節句に当っていたのであろう。重陽の節に山に登り、菊の花・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・という語が幾個あるかと数え出した事もあれば、紅葉山人の諸作の中より同一の警句の再三重用せられているものを捜し出した事もあった。唖々子の眼より見て当時の文壇第一の悪文家は国木田独歩であった。 その年雪が降り出した或日の晩方から電車の運転手・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・題して『十日の菊』となしたのは、災後重陽を過ぎて旧友の来訪に接した喜びを寓するものと解せられたならば幸である。自ら未成の旧稿について饒舌する事の甚しく時流に後れたるが故となすも、また何の妨があろう。 二 まだ築地・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ 七 忍が岡と太郎稲荷の森の梢には朝陽が際立ッて映ッている。入谷はなお半分靄に包まれ、吉原田甫は一面の霜である。空には一群一群の小鳥が輪を作ッて南の方へ飛んで行き、上野の森には烏が噪ぎ始めた。大鷲神社の傍の田甫の白鷺・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・「父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序」とは、聖人の教にして、周公孔子のもって貴きゆえんなれども、我が輩は右の事実を記して、この聖教の行われたるところを発見すること能わざるものなり。 然りといえども、以上枚挙するところは十五年来の実際・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・ もし心得ちがいの者ありて自由の分限を越え、他人を害して自から利せんとする者あれば、すなわち人間の仲間に害ある人なるゆえ、天の罪するところ、人の許さざるところ、貴賤長幼の差別なく、これを軽蔑して可なり、これを罰して差支なし。右の如く、人・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・即ち朋友に信といい、長幼に序といい、君臣または治者・被治者の間に義というが如く、大切なる箇条あり。これを人生戸外の道徳という。即ち家の外の道徳という義にして、家族に縁なく、広く社会の人に交わるに要用なるものにして、かの居家の道徳に比すれば、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ こういう娘たちの大部分は戦争中、徴用で軍需工場に働いていた。そのときの彼女たちは、断髪に日の丸はちまきをしめて、日本の誇る産業戦士であった――寮でしらみにくわれながらも。彼女たちの働く姿は新聞に映画にうつされた。あなたがたの双肩に日本・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・それから皆さんのお父さんも、徴用から解除され、或は復員になって家庭にお帰りになった方もあるでしょう。しかしまた決して二度と帰らないお父さんを持った方達も少くないでしょう。また帰っていらしても、戦争のために不具になって、娘としてまた妹としてそ・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
出典:青空文庫