・・・ それでも酒の器などには、ちょっと古びのついたものがまだ残っていて、ぎやまんの銚子に猪口が出たり、ちぐはぐな南京皿に茄子のしんこが盛られたりした。 お絹は蔭でそうは言っても、面と向かうと当擦りを言うくらいがせいぜいであった。少し強く・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・平田はすぐその眼を外らし、思い出したように猪口を取ッて仰ぐがごとく口へつけた、酒がありしや否やは知らぬが。 吉里の眼もまず平田に注いだが、すぐ西宮を見て懐愛しそうににッこり笑ッて、「兄さん」と、裲襠を引き摺ッたまま走り寄り、身を投げかけ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 小十郎はちゃんとかしこまってそこへ腰掛けていかの切り込みを手の甲にのせてべろりとなめたりうやうやしく黄いろな酒を小さな猪口についだりしている。いくら物価の安いときだって熊の毛皮二枚で二円はあんまり安いと誰でも思う。実に安いしあんまり安・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・ そこからは弟達の玩具の通りな汽車の線路や、家や、私のお噺の国に住わせたい様な人が小さくチョコチョコと働いて居るのが見られた。 私があっけに取られて居る後から追い付いた叔父は私と並んでそののとっぽ先に腰をかけた。 けれ共私は、自・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・ 私は、紺がすりの元禄袖の着物に赤い小帯をチョコンとしめたまま、若し何処か戸じまりに粗漏な所があって、其処からでも入られたとあっては、ほんとに余り気が知れていやだと思って、故意と閉めたままになって居る家中の戸じまりを見て廻った。 湯・・・ 宮本百合子 「盗難」
・・・そして頭のとおいところで、ランチョンの中にあるアメチョコの甘さを考えて居た。 二十六日桑野にて、 天気は晴れて、のびかかった麦が、美くしい列になって見える、けれども北風が激しいので、一吹松林をそよがせながら、風が吹いて来ると、向・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・ 校長は小さい猪口に三四杯飲んですっかり機嫌になり、自分等が若かった時、寄宿舎で夜中に食物をとりに行って小使だと思って舎監にソーット醤油を呉れと云って、それなり懐に一杯薯を抱いてつかまった事を、顔中の和毛をそよがせながら話した。そして炬・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 女は最初自分の箸を割って、盃洗の中の猪口を挟んで男に遣った。箸はそのまま膳の縁に寄せ掛けてある。永遠に渇している目には、またこの箸を顧みる程の余裕がない。 娘は驚きの目をいつまで男の顔に注いでいても、食べろとは云って貰われない。も・・・ 森鴎外 「牛鍋」
・・・そして猪口を出した私の顔を見て云った。「面白かったでしょう」 大人か小児に物を言うような口吻である。美しい目は軽侮、憐憫、嘲罵、翻弄と云うような、あらゆる感情を湛えて、異様に赫いている。 私は覚えず猪口を持った手を引っ込めた。私・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫