・・・ と言い、旦那さんは、つかつかと私の隠れている机のほうに歩いて来て、おいおい、そんなところで何をしているのだ、ばかやろう、と言い、ああ、私はもそもそと机の下で四つ這いの形のままで、あまり恥ずかしくて出るに出られず、あの奥さんがうらめしくてぽ・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・ 昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、そうして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれなかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に駈けあがって、「聞い・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・いつも黒紋付に、歩くときゅうきゅう音のする仙台平の袴姿であったが、この人は人の家の玄関を案内を乞わずに黙っていきなりつかつか這入って来るというちょっと変った習慣の持主であった。 いつか熱が出て床に就いて、誰も居ない部屋にただ一人で寝てい・・・ 寺田寅彦 「追憶の医師達」
・・・演説者はぴたりと演説をやめてつかつかとこの村夫子のたたずめる前に出て来る。二人の視線がひたと行き当る。演説者は濁りたる田舎調子にて御前はカーライルじゃないかと問う。いかにもわしはカーライルじゃと村夫子が答える。チェルシーの哲人と人が言囃すの・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・といい放って、つかつかと戸口にかかる幕を半ば掲げたが、やがてするりと踵を回らして、女の前に、白き手を執りて、発熱かと怪しまるるほどのあつき唇を、冷やかに柔らかき甲の上につけた。暁の露しげき百合の花弁をひたふるに吸える心地である。ランスロット・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・構わず飛び上って、茶の間へつかつか這入り込む。見ると御母さんが、今起き立の顔をして叮嚀に如鱗木の長火鉢を拭いている。「あら靖雄さん!」と布巾を持ったままあっけに取られたと云う風をする。あら靖雄さんでも埓があかん。「どうです、よほど悪・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ ところがその撃剣の先生はつかつかと歩いて来ました。「うちの中のあかりを消せい、電燈を消してもべつのあかりをつけちゃなんにもならん。はやく消せい。おや、今晩は。なるほど、こちらの商売では仕方ないかね。」「ええ、先生、今晩は、ご苦・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・ つかつかその人達の方へ行った。火を貰って此方向きにかえって来ながら彼女は嬉しそうに笑って舌を出した。彼等もつり込まれて思わず笑い、莨の火をかりた人の方を見ると、その人々も笑っている。日曜日らしい寛ろいだ情景でひろ子は愉快を感じた。ベン・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・中央から十二三歳のピオニェール少女がつかつかと演壇にのぼった。茶色の演壇上の赤い襟飾り、しまって悧口そうな顔、房々したオカッパ。 ――何々区ピオニェール分隊から、世界無産婦人デーへの熱心な挨拶を! 澄んで打つような少女の声だ。続いて・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
・・・Y、つかつか床几の処へ行った。「何した」「――」「こんな悪戯する奴があるか」 悪童は、すっぱりと一つ喰らわされた。Yの洋装に田舎の子らしい反感を持ったのと、手下どもに己を誇示したかったのとが、偶然この少年をして「殴られる彼奴・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫