・・・僕は受け身になりきったまま、爪先ばかり見るように風立った路を歩いて行った。 すると墓地裏の八幡坂の下に箱車を引いた男が一人、楫棒に手をかけて休んでいた。箱車はちょっと眺めた所、肉屋の車に近いものだった。が、側へ寄って見ると、横に広いあと・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・そこで気を紛せたい一心から、今まで下駄の爪先ばかりへやっていた眼を、隣近所へ挙げて見ると、この電車にもまた不思議があった。――と云うのは、天井の両側に行儀よく並んでいる吊皮が、電車の動揺するのにつれて、皆振子のように揺れていますが、新蔵の前・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・思わず身をすり寄せて、素足のままのフランシスの爪先きに手を触れると、フランシスは静かに足を引きすざらせながら、いたわるように祝福するように、彼女の頭に軽く手を置いて間遠につぶやき始めた。小雨の雨垂れのようにその言葉は、清く、小さく鋭く、クラ・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・幽に震えるような身を緊めた爪先の塗駒下駄。 まさに嫁がんとする娘の、嬉しさと、恥らいと、心遣いと、恐怖と、涙と、笑とは、ただその深く差俯向いて、眉も目も、房々した前髪に隠れながら、ほとんど、顔のように見えた真向いの島田の鬢に包まれて、簪・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・御存じでもあろうが、あれは爪先で刺々を軽く圧えて、柄を手許へ引いて掻く。……不器用でも、これは書生の方がうまかった。令夫人は、駒下駄で圧えても転げるから、褄をすんなりと、白い足袋はだし、それでも、がさがさと針を揺り、歯を剥いて刎ねるから、憎・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・頤から爪先の生えたのが、金ぴかの上下を着た処は、アイ来た、と手品師が箱の中から拇指で摘み出しそうな中親仁。これが看板で、小屋の正面に、鼠の嫁入に担ぎそうな小さな駕籠の中に、くたりとなって、ふんふんと鼻息を荒くするごとに、その出額に蚯蚓のよう・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・、欄干の下を駆け抜けて壁について今、婆さんの前へ衝と来たお米、素足のままで、細帯ばかり、空色の袷に襟のかかった寝衣の形で、寝床を脱出した窶れた姿、追かけられて逃げる風で、あわただしく越そうとする敷居に爪先を取られて、うつむけさまに倒れかかっ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 爪先あがりの小径を斜めに、山の尾を横ぎって登ると、登りつめたところがつの字崎の背の一部になっていて左右が海である、それよりこの小径が二つに分かれて一は崎の背を通してその極端に至り一は山のむこうに下りてなの字浦に出る。この三派の路の集ま・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・路は野原の薄を分けてやや爪先上の処まで来ると、ちらと自分の眼に映ったのは草の間から現われている紙包。自分は駈け寄って拾いあげて見ると内に百円束が一個。自分は狼狽て懐中にねじこんだ。すると生徒が、「先生何に?」と寄って来て問うた。「何・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・萱原の一端がしだいに高まって、そのはてが天ぎわをかぎっていて、そこへ爪先あがりに登ってみると、林の絶え間を国境に連なる秩父の諸嶺が黒く横たわッていて、あたかも地平線上を走ってはまた地平線下に没しているようにもみえる。さてこれよりまた畑のほう・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
出典:青空文庫