・・・虚無思想の中心は、ツルゲネフの作が定義するところによれば、あらゆるものを信ぜず、あらゆる権威に抗争する点に存する。しかしこの思想を一の人生観として取り上げる時、そこに当然消極か積極かという問題が起こり来たらざるを得ないことは、すでにヨーロッ・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・二重もしくは、二重以上の無限級数の定義には、二種類あるのではないか、と思われる。画を書いてお目にかけると、よくわかるのですが、謂わば、フランス式とドイツ式と二つある。結果は同じ様なことになるのだが、フランス式のほうは、すべての人に納得の行く・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・という言葉の定義はむずかしい。これは、不思議のちからである。ある大学から、ピンポンのたくみなる選手がひとり出るとその大学から毎年、つぎつぎとピンポンの名手があらわれる。伝統のちからであると世人は言う。ピンポン大学の学生であるという矜持が、そ・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・こいつらは、十年前に覚えた定義を、そのまま暗記しているだけだ。そうして新しい現実をその一つ覚えの定義に押し込めようと試みる。無理だよ、婆さん。所詮、合いませぬて。 自分を駄目だと思い得る人は、それだけでも既に尊敬するに足る人物である。半・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・伊馬鵜平君にも、私はその食通の定義を教えたのであるが、伊馬君は、みるみる喜色を満面に湛え、ことによると、僕も食通かも知れぬ、と言った。伊馬君とそれから五、六回、一緒に飲食したが、果して、まぎれもない大食通であった。 安くておいしいものを・・・ 太宰治 「食通」
・・・ロココという言葉を、こないだ辞典でしらべてみたら、華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されていたので、笑っちゃった。名答である。美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまっている。だから、私は、・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・を次の如く定義していた。「性的衝動に基づく男女間の愛情。すなわち、愛する異性と一体になろうとする特殊な性的愛。」 しかし、この定義はあいまいである。「愛する異性」とは、どんなものか。「愛する」という感情は、異性間に於いて、「恋愛」以・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・たとえば、宵の私の訪問をもてなすのに、ただちに奥さんにビールを命ずるお医者自身は善玉であり、今宵はビールでなくブリッジいたしましょう、と笑いながら提議する奥さんこそは悪玉である、というお医者の例証には、私も素直に賛成した。奥さんは、小がらの・・・ 太宰治 「満願」
・・・子供の頭に考え浮べ得られる事を授けないでその代りに六かしい「定義」などをあてがう。具体的から抽象的に移る道を明けてやらないで、いきなり純粋な抽象的観念の理解を強いるのは無理である。それよりもこうすればうまく行ける。先ず一番の基礎的な事柄は教・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・という言葉の内容に関する定義の曖昧不鮮明から生まれることはもちろんである。 論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ緻密な頭脳を要する。紛糾した可能性の岐・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
出典:青空文庫