・・・この天成の妙機を捨てる代わりに、これを活用してその長所を発揮するような、そういう「科学の分派」を設立することは不可能であろうか。こういう疑問を起こさないではいられないほどにわれわれの感覚器官はその機構の巧妙さによってわれわれを誘惑するのであ・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・長い頑固な病気を持てあましている堅吉は、自分の身辺に起こるあらゆる出来事を知らず知らず自分の病気と関係させて考えるような習慣が生じていた。天性からも、また隠遁的な学者としての生活からも、元来イーゴイストである彼の小自我は、その上におおってい・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・それから肉桂酒と称するが実は酒でもなんでもない肉桂汁に紅で色をつけたのを小さなひょうたん形のガラスびんに入れたものも当時のわれわれのためには天成の甘露であった。 甘蔗のひと節を短刀のごとく握り持ってその切っ先からかじりついてかみしめると・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・それは人々の天性や傾向にもよる事であろうが、一つにはまた絶えざる努力と修練を要する事は勿論である。然るに現今幾百を数える知名の画家殊に日本画家中で少なくも真剣にこういう努力をしている人が何人あるかという事は、考えてみると甚だ心細いような気が・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・此の人は其後陸軍士官となり日清戦争の時、血気の戦死を遂げた位であったから、殺戮には天性の興味を持って居たのであろう。日頃田崎と仲のよくない御飯焚のお悦は、田舎出の迷信家で、顔の色を変えてまで、お狐さまを殺すはお家の為めに不吉である事を説き、・・・ 永井荷風 「狐」
・・・て乗るちょう事のいかなるものなるかをさえ解し得ざる男なり、ただ一種の曲解せられたる意味をもって坂の上から坂の下まで辛うじて乗り終せる男なり、遠乗の二字を承って心安からず思いしが、掛直を云うことが第二の天性とまで進化せる二十世紀の今日、この点・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・現に封建時代の平民と云うものが、どのくらい長い間一種の型の中に窮屈に身を縮めて、辛抱しつつ、これは自分の天性に合った型だと認めておったか知れません。仏蘭西の革命の時に、バステユと云う牢屋を打壊して中から罪人を引出してやったら、喜こぶと思いの・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正とかいう問題になると、少々込み入った解剖の力を借りなければ何とも申されませんが、そうし・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・僕は少年時代に黒岩涙香やコナン・ドイルの探偵小説を愛読し、やや長じて後は、主としてポオとドストイェフスキイを愛読したが、つまり僕の遺伝的な天性気質が、こうした作家たちの変質性に類似を見付けた為なのだろう。 それはとにかく、これが僕を人嫌・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・女子の天性容色を重んずるが故に、其唯一に重んずる所の容よりも心の勝れたるこそ善けれと記して、文章に力を付けたるは巧なりと雖も、唯是れ文章家の巧として見る可きのみ。其以下婦人の悪徳を並べ立てたる箇条は読んで字の如く悪徳ならざるはなし。心騒しく・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫