・・・人によると、生涯に一度も無我の境界に点頭し、恍惚の域に逍遥する事のないものがあります。俗にこれを物に役せられる男と云います。かような男が、何かの因縁で、急にこの還元的一致を得ると、非常な醜男子が絶世の美人に惚れられたように喜びます。「意・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ しばらくするとまた唐紅の天道がのそりと上って来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・其他様々の陰陽説に就き、今日吾々が古人と為りて勝手自儘に新説を作れば、旧説を逆にして陰陽を転倒すること甚だ易し。如何となれば新旧共に根拠なければなり。斯る無根の空論を土台にして、女は陰性なり、陰は夜にして暗し、故に女子は愚なりと明言して憚ら・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・古法古言を盲信して万世不易の天道と認め、却て造化の原則を知らず時勢の変遷を知らざるは、古学者流の通弊にこそあれ。人智の進歩は盲信を許さゞるなり。古人が女子を床の下に臥さしめて男天女地の差別を示したるは古人の発意にして、其意は以て人間万世の法・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ゆえに世界中、なんらの国を論ぜず、なんらの人種たるを問わず、人々自からその身体を自由にするは天道の法則なり。すなわち人はその人の人にして、なお天下は天下の天下なりというが如し。その生るるや、束縛せらるることなく、天より付与せられたる自主・自・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
中津留別の書 人は万物の霊なりとは、ただ耳目鼻口手足をそなえ言語・眠食するをいうにあらず。その実は、天道にしたがって徳を脩め、人の人たる知識・聞見を博くし、物に接し人に交わり、我が一身の独立をはかり、我が一家の・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・「樺の木さん。お早う。実にいい天気だな。」「お早うございます。いいお天気でございます。」「天道というものはありがたいもんだ。春は赤く夏は白く秋は黄いろく、秋が黄いろになると葡萄は紫になる。実にありがたいもんだ。」「全くでござ・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・なの衆、まず試しに、自分がみそさざいにでもなったと考えてご覧じ。な。天道さまが、東の空へ金色の矢を射なさるじゃ、林樹は青く枝は揺るる、楽しく歌をばうたうのじゃ、仲よくおうた友だちと、枝から枝へ木から木へ、天道さまの光の中を、歌って歌って参る・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・(飴というものはうまいものだ。天道 山男がこんなことをぼんやり考えていますと、その澄み切った碧いそらをふわふわうるんだ雲が、あてもなく東の方へ飛んで行きました。そこで山男は、のどの遠くの方を、ごろごろならしながら、また考えました。・・・ 宮沢賢治 「山男の四月」
・・・昔は自分達の行く劇場にさえ入れなかったような労働者の前へ、今は顛倒した地位で自分達が立たなければならなくなった彼等が、素朴な管理者が閉口するように、報告を出来るだけ衒学的な文句で書いたり、必要もないのに、馬鹿叮寧な術語をしかもドイツ語で並べ・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
出典:青空文庫