・・・ 震源の所在を知りたがる世人は、おそらく自分の宅に侵入した盗人を捕えたがると同様な心理状態にあるものと想像される。しかし第一に震源なるものがそれほど明確な単独性をもった個体と考えてよいか悪いかさえも疑いがある、のみならず、たとえいわゆる・・・ 寺田寅彦 「地震雑感」
・・・これは、設計では挿すことになっていたのを、つい挿すのを忘れたのか、手を省いて略したのか、それともいったん挿してあったのを盗人か悪戯な子供が抜き去ったか、いずれかであろうと思われた。このボルトが差してあったら多分この屋根は倒れないですんだかも・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・もしなんの効能もないとすると、祖先の日本人は仏法伝来と同時に輸入されたというこの唐人のぺてんに二千年越しだまされつづけて無用なやけどをこしらえて喜んでいたわけである。 二千年来信ぜられて来たという事実はそれが真であるという証拠には少しも・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・時には庇ばかりで屋根のない家に唐人のような漱石先生が居る事もある。このような不思議な現象は津田君のある時期の画中には到る処に見出される。在来の型以外のものに対して盲目な公衆の眼にはどうしても軽視され時には滑稽視されるのは誠に止むを得ぬ次第で・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・ 地震によって惹起される津波もまたしばしば、おそらく人間の一代に一つか二つぐらいずつは、大八州国のどこかの浦べを襲って少なからざる人畜家財を蕩尽したようである。 動かぬもののたとえに引かれるわれわれの足もとの大地が時として大いに震え・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・女車掌が蟋蟀のような声で左右の勝景を紹介し、盗人厩の昔話を暗誦する。一とくさり述べ終ると安心して向うをむいて鼻をほじくっているのが憐れであった。十国峠の無線塔へぞろぞろと階段を上って行く人の群は何となく長閑に見えた。 熱海へ下る九十九折・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・ 七味唐辛子を売り歩く男で、頭には高くとがった円錐形の帽子をかぶり、身にはまっかな唐人服をまとい、そうしてほとんど等身大の唐辛子の形をした張り抜きをひもで肩につるして小わきにかかえ、そうして「トーン、トーオン、トンガシノコー、ヒリヒリカ・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・之に由って観れば、支那そばやが唐人笛を吹いて歩くようになったのは明治四十年より後であろう歟。 支那蕎麦屋の夜陰に吹き鳴す唐人笛には人の心を動す一種の哀音がある。曾て場末の町の昼下りに飴を売るものの吹き歩いたチャルメラの音色にも同じような・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・雲如は江戸の商家に生れたが初文章を長野豊山に学び、後に詩を梁川星巌に学び、家産を蕩尽した後一生を旅寓に送った奇人である。晩年京師に留り遂にその地に終った。雲如の一生は寛政詩学の四大家中に数えられた柏木如亭に酷似している。如亭も江戸の人で生涯・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・そうしていきなり盗人に迫った。其時は既に盗ではなかった其不幸な青年は急遽其蜀黍の垣根を破って出た。体は隣の桑畑へ倒れた。太十は一歩境を越して打ち据えた。其第一撃が右の腕を斜に撲った。第二撃が其後頭を撲った。それがそこに何も支うるものがなかっ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫