・・・ 湯治せよと金を送つてやりたれど 思へば稼業にせはしき母か。 お母さんの御境遇もこれですね。私も出来るだけのことはいたしますから御安心下さい。 店のトラックもずっと無事に動いています。東京の円タクはガソリン・スタンド廃業・・・ 宮本百合子 「二人の弟たちへのたより」
・・・フロレンスが、物心づいて世の中を眺めはじめた一八四五、六年代は、イギリスがヴィクトーリア女皇の統治の下に近代社会として未曾有の発展をとげた画期的な時期であった。商工業の急激な進歩、産業界全面の革新は一方に大英国の富をつみ上げてゆくと一緒に、・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
・・・ 荷風は、ロマンティックな蕩児として大学を追われ、アメリカに行き、フランスに着し、帰朝後は実業家にしようとする家父との意見対立で、俗的には世をすね、文学に生涯を没頭している。 日露戦争前後の日本の社会、文化の水準とヨーロッパのそれと・・・ 宮本百合子 「歴史の落穂」
・・・という一貫した主張をもっており、その主意によって統治を受けた。やっと生活出来る程度の収入だけを残して、あとは皆地頭、領主に取られて来た。農民の女性の生活というものは、全く物を言う家畜という有様であった。しかしこの時代の彼女達の生活が文化の上・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・光尚は鉄砲十挺を預けて、「創が根治するように湯治がしたくばいたせ、また府外に別荘地をつかわすから、場所を望め」と言った。又七郎は益城小池村に屋敷地をもらった。その背後が藪山である。「藪山もつかわそうか」と、光尚が言わせた。又七郎はそれを辞退・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・添島、野村は当時百石のものである。裏門の指揮役は知行五百石の側者頭高見権右衛門重政で、これも鉄砲組三十挺の頭である。それに目附畑十太夫と竹内数馬の小頭で当時百石の千場作兵衛とがしたがっている。 討手は四月二十一日に差し向けられることにな・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 八月の末に、師団長は湯治場から帰られた。暑中休暇も残少なになった。二十九日には、土地のものが皆地蔵様へ詣るというので、石田も寺町へ往って見た。地蔵堂の前に盆燈籠の破れたのを懸け並べて、その真中に砂を山のように盛ってある。男も女も、線香・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・文学と感覚 自分は文芸春秋の創刊当時から屡々感覚と云う言葉を口にして来た。しかし、これは云うべき時機であるが故に云ったにすぎない。いつまでも自分は感覚と云う言葉を云っていたくはない。またそれほどまでに云うべきことでは勿論ない・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・ 中世の末にヨーロッパの航海者たちが初めてアフリカの西海岸や東海岸を訪れたときには、彼らはそこに驚くべく立派な文化を見いだしたのであった。当時のカピタンたちの語るところによると、初めてギネア湾にはいってワイダあたりで上陸した時には、・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫