・・・その顔は大きい海水帽のうちに遠目にも活き活きと笑っていた。「水母かな?」「水母かも知れない。」 しかし彼等は前後したまま、さらに沖へ出て行くのだった。 僕等は二人の少女の姿が海水帽ばかりになったのを見、やっと砂の上の腰を起し・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・が、彼女の前髪や薄い黄色の夏衣裳の川風に波を打っているのは遠目にも綺麗に違いなかった。「見えたか?」「うん、睫毛まで見える。しかしあんまり美人じゃないな。」 僕は何か得意らしい譚ともう一度顔を向い合せた。「あの女がどうかした・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・菰の下からは遠目にも両足の靴だけ見えるらしかった。「死骸はあの人たちが持って行ったんです。」 こちら側のシグナルの柱の下には鉄道工夫が二三人、小さい焚火を囲んでいた。黄いろい炎をあげた焚火は光も煙も放たなかった。それだけにいかにも寒・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・それから――遠目にも愛くるしい顔に疑う余地のない頬笑みを浮かべた? が、それは掛け価のない一二秒の間の出来ごとである。思わず「おや」と目を見はった時には、少女はもういつのまにか窓の中へ姿を隠したのであろう。窓はどの窓も同じように人気のない窓・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・彼女の着ているのは遠目に見ても緑いろのドレッスに違いなかった。僕は何か救われたのを感じ、じっと夜のあけるのを待つことにした。長年の病苦に悩み抜いた揚句、静かに死を待っている老人のように。…… 四 まだ? 僕はこのホテ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 露地が、遠目鏡を覗く状に扇形に展けて視められる。湖と、船大工と、幻の天女と、描ける玉章を掻乱すようで、近く歩を入るるには惜いほどだったから…… 私は――(これは城崎関弥 ――道をかえて、たとえば、宿の座敷から湖の向うにほん・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・恋人同志が一年にいちど相逢う姿を、遠目鏡などで眺めるのは、実に失礼な、また露骨な下品な態度だと思っていた。とても恥ずかしくて、望見出来るものではない。 そんな事を考えながら七夕の町を歩いていたら、ふいとこんな小説を書きたくなった。毎年い・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・双方の感情を害する媒介たるに反し、遠く相離れて相互に見るが如く見ざるが如くして、相互に他の内事秘密に立入らざれば、新旧恰も独立して自から家計経営の自由を得るのみならず、其遠ざかるこそ相引くの道にして、遠目に見れば相互に憎からず、舅姑と嫁との・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・その傍を通り過た漁船、裸の漁師の踏張った片脚、愕きでピリリとしたのを遠目に見た。自分、段々段々その死んで漂って行った若い男が哀れになり、太陽が海を温めているから、赤い小旗は活溌にひらひらしているから、猶々切ない心持であった。夜こわく悲しく、・・・ 宮本百合子 「狐の姐さん」
・・・艫からメイン・マスト、舳へと一条張られたイルミネーションは遠目に細かく燦めき、海面の夜の濃さを感じさせた。 室へ帰って手帳に物を書いていたら、薄いカーテンに妙に青っぽい閃光が映り、目をあげて外を見ると、窓前のプラタナスに似た街路樹の葉へ・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
出典:青空文庫