・・・「伝右衛門殿も老人はお嫌いだと見えて、とかくこちらへはお出になりませんな。」 内蔵助は、いつに似合わない、滑な調子で、こう云った。幾分か乱されはしたものの、まだ彼の胸底には、さっきの満足の情が、暖く流れていたからであろう。「いや・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・「じゃその方が見えてからにしましょう。――どうもはっきりしない天気ですな。」 谷村博士はこう云いながら、マロック革の巻煙草入れを出した。「当年は梅雨が長いようです。」「とかく雲行きが悪いんで弱りますな。天候も財界も昨今のよう・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
色といえば、恋とか、色情とかいう方面に就いての題目ではあろうが、僕は大に埒外に走って一番これを色彩という側に取ろう、そのかわり、一寸仇ッぽい。 色は兎角白が土台になる。これに色々の色彩が施されるのだ。女の顔の色も白くな・・・ 泉鏡花 「白い下地」
・・・ 爺さんは、とかく、手に取れそうな、峰の堂――絵馬の裡へ、銑吉を上らせまいとするのである。 第一可恐いのは、明神の拝殿の蔀うち、すぐの承塵に、いつの昔に奉納したのか薙刀が一振かかっている。勿論誰も手を触れず、いつ研いだ事もないのに、・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ どうして礼なんぞ遣っては腹を立って祟をします、ただ人助けに仕りますることで、好でお籠をして影も形もない者から聞いて来るのでございます、と悪気のない男ですが、とかく世話好の、何でも四文とのみ込んで差出たがる親仁なんで、まめだって申上げた・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・和宜しきを得る処に美風の性命が存するのである、此精神が茶の湯と殆ど一致して居るのであるが、彼欧人等がそれを日常事として居るは何とも羨しい次第である、彼等が自ら優等民族と称するも決して誇言ではない、兎角精神偏重の風ある東洋人は、古来食事の・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ 省作はもちろんおとよさんが自分を思ってるとはまだ気がつかないが、少しそういう所に経験のある目から見れば、平生あまり人に臆せぬおとよさんがとかく省作に近寄りたがるふうがありながら、心を抑えて話もせぬ様子ぶりに目を留めないわけにゆかない。・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 僕は学校へ行ってからも、とかく民子のことばかり思われて仕方がない。学校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、自分で自分を叱り励まして見ても何の甲斐もない。そういう詞の尻からすぐ民子のことが湧いてくる。多くの人中に居ればど・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・もう、死んだんが本統であったんやも知れんけど、兎角、勇気のないもんがこない目に会うて」と、左の肩を振って見せたが、腕がないので、袖がただぶらりと垂れていた。「帰って来ても、廃兵とか、厄介者とか云われるのやろう。もう、僕などはあかん」と、猪口・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・その上に余り如才がなさ過ぎて、とかく一人で取持って切廻し過ぎるのでかえって人をテレさせて、「椿岳さんが来ると座が白ける」と度々人にいわれたもんだ。円転滑脱ぶりが余りに傍若無人に過ぎていた。海に千年、山に千年の老巧手だれの交際上手であったが、・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
出典:青空文庫