・・・ 昭和十二年、わたくしが初めてオペラ館や常盤座の人たちと心易くなった時、既に震災前の公園や凌雲閣の事を知っている人は数えるほどしかいなかった。昭和の世の人たちには大正時代の公園はもう忘れられていた。その頃オペラ館の舞台で観客から喝采せら・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ 昭和十二年、わたくしが初めてオペラ館や常盤座の人たちと心易くなった時、既に震災前の公園や凌雲閣の事を知っている人は数えるほどしかいなかった。昭和の世の人たちには大正時代の公園はもう忘れられていた。その頃オペラ館の舞台で観客から喝采せら・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・その一筋は大門を出て堤を右手に行くこと二、三町、むかしは土手の平松とかいった料理屋の跡を、そのままの牛肉屋常磐の門前から斜に堤を下り、やがて真直に浅草公園の十二階下に出る千束町二、三丁目の通りである。他の一筋は堤の尽きるところ、道哲の寺のあ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・かくの如き昔ながらの汚い光景は、わたくしをして、二十年前亡友A氏と共にしばしばこのあたりの古寺を訪うた頃の事やら、それよりまた更に十年のむかし噺家の弟子となって、このあたりの寄席、常盤亭の高座に上った時の事などを、歴々として思い起させるので・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・かくの如き昔ながらの汚い光景は、わたくしをして、二十年前亡友A氏と共にしばしばこのあたりの古寺を訪うた頃の事やら、それよりまた更に十年のむかし噺家の弟子となって、このあたりの寄席、常盤亭の高座に上った時の事などを、歴々として思い起させるので・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・その年正月の下半月、師匠の取席になったのは、深川高橋の近くにあった、常磐町の常磐亭であった。 毎日午後に、下谷御徒町にいた師匠むらくの家に行き、何やかやと、その家の用事を手つだい、おそくも四時過には寄席の楽屋に行っていなければならない。・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ ジャズ舞踊と演劇とを見せる劇場は公園の興行街には常盤座、ロック座、大都劇場の三座である。踊子の大勢出るレヴューをこの土地ではショーとかヴァライエチーとか呼んでいる。西洋の名画にちなんだ姿態を取らせて、モデルの裸体を見せるのはジャズ舞踊・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・ ジャズ舞踊と演劇とを見せる劇場は公園の興行街には常盤座、ロック座、大都劇場の三座である。踊子の大勢出るレヴューをこの土地ではショーとかヴァライエチーとか呼んでいる。西洋の名画にちなんだ姿態を取らせて、モデルの裸体を見せるのはジャズ舞踊・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・其時分は常盤会寄宿舎に居たものだから、時刻になると食堂で飯を食う。或時又来て呉れという。僕が其時返辞をして、行ってもええけれど又鮭で飯を食わせるから厭だといった。其時は大に御馳走をした。鮭を止めて近処の西洋料理屋か何かへ連れて行った。 ・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・其時分は常盤会寄宿舎に居たものだから、時刻になると食堂で飯を食う。或時又来て呉れという。僕が其時返辞をして、行ってもええけれど又鮭で飯を食わせるから厭だといった。其時は大に御馳走をした。鮭を止めて近処の西洋料理屋か何かへ連れて行った。 ・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
出典:青空文庫