どんな小説を読ませても、はじめの二三行をはしり読みしたばかりで、もうその小説の楽屋裏を見抜いてしまったかのように、鼻で笑って巻を閉じる傲岸不遜の男がいた。ここに露西亜の詩人の言葉がある。「そもさん何者。されば、わずかにまね・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・運命の魔女が織り成す夢幻劇の最後の幕の閉じる幔幕としてこの刺繍の壁掛けを垂下したつもりであるかもしれない。 このようにいろいろな味のちがったものを多数に全編の中に取り入れて、趣味のちがった多数の観客の享楽に適するようにしようとすれば、ど・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・その時に調べてみるとボタンを押した時に電路を閉じるべき銅板のばねの片方の翼が根元から折れてしまっていたのである。 実はよほど前に、便所に取り付けてある同じ型のスイッチが、やはり同じ局部の破損のために役に立たなくなって、これもその当座自分・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・ 目を閉じるといろいろの「光の舞踊」が見える。これはある程度までは生理的効果でだれにでも共通なものである。この現象はトーキーでなく無声映画でも利用されうるであろうが、しかしトーキーだといっそう有効に応用されうるわけである。たとえば、画中・・・ 寺田寅彦 「耳と目」
・・・いつかまぶたは閉じるのじゃ、昼の景色を夢見るじゃ、からだは枝に留まれど、心はなおも飛びめぐる、たのしく甘いつかれの夢の光の中じゃ。そのとき俄かにひやりとする。夢かうつつか、愕き見れば、わが身は裂けて、血は流れるじゃ。燃えるようなる、二つの眼・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・黒のフロックを着た先生が尖った茶いろの口を閉じるでもなし開くでもなし、眼をじっと据えて、しずかにやって来るのです。先生といったって、勿論狐の先生です。耳の尖っていたことが今でもはっきり私の目に残っています。俄かに先生はぴたりと立ちどまりまし・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・ 百貨店の娘さんたちの朝から夕方店を閉じるまでの忙しさ、遑のない客との応接、心を散漫に疲れさせるそれらの条件を健全でない事情と見て、反対の解毒剤として、所謂落着いた古来の仕舞は健全と思われているのであろう。実際に百貨店の娘さんたちの動き・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・けれども、棺をいよいよ閉じるという時、私は自分を制せられなくなって涙で顔じゅうを濡らし激しく慟哭した。可愛い、可愛いお父様。その言葉が思わず途切れ途切れに私の唇からほとばしった。どうも御苦労様でした、そういう感動が私の体じゅうを震わすのであ・・・ 宮本百合子 「わが父」
・・・然らば口を閉じるより外はないようなものです。 所が、私の考えている事は全く違っています。尤もこの考えている事というのが、告白であるかないか、矯飾をしていないかという疑問が直ぐに伴って来る。もっと立ち入って云えば、自分では云々と考えている・・・ 森鴎外 「Resignation の説」
・・・ 妻が眼を閉じると、彼は明りを消して窓を開けた。樹の揺れる音が風のように聞えて来た。月のない暗い花園の中を一人の年とった看護婦が憂鬱に歩いていた。彼は身も心も萎れていた。妻の母はベランダの窓硝子に頬をあてて立ったまま、花園の中をぼんやり・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫