・・・「事務所へ泊りました。」「そうか。丁度よかった。この人について行ってくれ。玉蜀黍の脱穀をしてるんだ。機械は八時半から動くからな。今からすぐ行くんだ。」農夫長は隣りで脚絆を巻いている顔のまっ赤な農夫を指しました。「承知しました。」・・・ 宮沢賢治 「耕耘部の時計」
・・・ みんなは帰る元気もなくなって、平右衛門の所に泊りました。「源の大将」はお顔を半分切られて月光にキリキリ歯を喰いしばっているように見えました。 夜中になってから「とっこべ、とら子」とその沢山の可愛らしい部下とが又出て来て、庭に抛・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・ファゼーロはしばらく経ってぴたりと止まりました。「あ、こいつだ、そらね。」 見るとそこにはファゼーロが作ったらしく、一本の棒を立ててその上にボール紙で矢の形を作って北西の方を指すようにしてありました。「さあ、こっちへ行くんだ。向・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・風呂に入りに来たまま泊り、翌日夜になって、翻訳のしかけがある机の前に戻る。そんな日もあった。そこだけ椅子のあるふき子の居間で暮すのだが、彼等は何とまとまった話がある訳でもなかった。ふき子が緑色の籐椅子の中で余念なく細かい手芸をする、間に、・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・どうせ一晩泊りだもん――あっちじゃ伯母さんが来るだろうかねえ」「さあ」「来りゃいいのにね、そうすりゃこの間のことだってあのまんま何てことなくなっちゃっていいんだがね」「来るだろう」 空気枕に頭を押しつけこれ等の会話をききつつ・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・プラットフォームの群集は、例のとおり、止りかかる電車目がけて殺到した。すると、高く駅員の声が響いた。「この電車は、南方より復員の貸切電車であります。どなたも、おのりにならないように願います」 丁度目の前でドアが開いて、七分通り満員の・・・ 宮本百合子 「一刻」
・・・それから二三日たって、ようよう泊まりがけに来ている母に繰り言を言って泣くことができるようになった。それから丸二年ほどの間、女房は器械的に立ち働いては、同じように繰り言を言い、同じように泣いているのである。 高札の立った日には、午過ぎに母・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・その行き留まりにあるのである。廊下の横手には、お客を通す八畳の間が両側に二つずつ並んでいてそのはずれの処と便所との間が、右の方は女竹が二三十本立っている下に、小さい石燈籠の据えてある小庭になっていて、左の方に茶室賽いの四畳半があるのである。・・・ 森鴎外 「心中」
・・・ 石田はそれから帰掛に隣へ寄って、薄井の爺さんに、下女の若いのが来るから、どうぞお前さんの処の下女を夜だけ泊りに来させて下さいと頼んだ。そして内へ帰って黙っていた。 翌日口入の上さんが来て、お時婆あさんに話をした。年寄に骨を折らせる・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・人間の成長がすぐ止まりました。彼らの内に萌え出た多くの芽は芽の内に枯れてしまいました。そこへ行くと夏目先生はやはり偉かったと思います。先生の教養の光は五十を越してだんだん輝き出しそうになっていました。若々しい弾性はいつまでも消えないでいまし・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
出典:青空文庫