・・・ 次つぎ止まるひまなしにつくつく法師が鳴いた。「文法の語尾の変化をやっているようだな」ふとそんなに思ってみて、聞いていると不思議に興が乗って来た。「チュクチュクチュク」と始めて「オーシ、チュクチュク」を繰り返す、そのうちにそれが「チュク・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・どこに泊まるあてもない。そして日は暮れかかっているが、この他国の町は早や自分を拒んでいる。―― それが現実であるかのような暗愁が彼の心を翳っていった。またそんな記憶がかつての自分にあったような、一種訝かしい甘美な気持が堯を切なくした。・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・なぜなれば居残っている者のうちでも、今夜はどこへ泊まるかを決めていないものがある。この人々は大概、いわゆる居所不明、もしくは不定な連中であるから文公の今夜の行く先など気にしないのも無理はない。しかしあの容態では遠からずまいってしまうだろうと・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・「人に驚かして貰えばしゃっくりが止るそうだが、何も平気で居て牛肉が喰えるのに好んで喫驚したいというのも物数奇だねハハハハ」と綿貫はその太い腹をかかえた。「イヤ僕も喫驚したいと言うけれど、矢張り単にそう言うだけですよハハハハ」「唯・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・宿屋に泊る客も勿論外米を食うべきである。が、この頃、私の地方の島で四国の遍路に巡る一日五六百人から千人近くの人々にも外米は評判が悪い。路々ぶつ/\小言を云いながら通って行くのを私も二三耳にした。そんな連中が、飲食店に内地米の稲荷ずしでも売っ・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・手綱が引かれて馬が止ると同時に防寒帽子の毛を霜だらけにした若いずんぐりした支那人がとびおりた。ひと仕事すまして帰ってきたのだ。「どうしたい?」 毛布を丸めている呉清輝にきいた。「田川がうたれただよ」と呉は朗らかに笑った。「時にゃ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・か自分が自分を弁護しなければならぬようになったのを感じたが、貧乏神に執念く取憑かれたあげくが死神にまで憑かれたと自ら思ったほどに浮世の苦酸を嘗めた男であったから、そういう感じが起ると同時にドッコイと踏止まることを知っているので、反撃的の言葉・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・今夜は泊るぜ。だんぜん泊る」 子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。 桜桃が出た。 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・「今夜は、どこへ泊るの?」「そんな事、僕に聞いたって仕様が無いよ。いっさい、北さんの指図にしたがわなくちゃいけないんだ。十年来、そんな習慣になっているんだ。北さんを無視して直接、兄さんに話掛けたりすると、騒動になってしまうんだ。そう・・・ 太宰治 「故郷」
・・・私は、百花楼というその土地でいちばん上等の旅館に泊ることにきめた。むかし、尾崎紅葉もここへ泊ったそうで、彼の金色夜叉の原稿が、立派な額縁のなかにいれられて、帳場の長押のうえにかかっていた。 私の案内された部屋は、旅館のうちでも、いい方の・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
出典:青空文庫