・・・恋愛は決して百年同一の状態に止ることをしません。必ず或る消長があります。草木が宇宙の季節を感じるように、一日に暁と白昼と優しい黄昏の愁があるように、推移しずにはいません。いつか或るところに人間をつき出します。それが破綻であるか、或いは互いに・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・自分たちが泊る宿やを、土産ものやだのお詣りだのの真只中にあるものとして考えられなかったのであった。 お詣りの定期が終ったばかりだそうで、土産ものやの前は閑散であるし、虎丸旅館と大看板を下げたその家もしずかである。朝飯のとき前もってきめら・・・ 宮本百合子 「琴平」
・・・三四日泊ることにし、一旦、郊外の家へ帰った。 宵から降り出し、なほ子が十一時過て郊外電車に乗った頃、本降りになった。梅雨前らしいしとしと雨であった。暗い田舎道を揺れながら乱暴に電車が疾走する。その窓硝子へ雨がかかり、内部の電燈で光って見・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・ 九月二十九日夜 三人 モンマルトルの赤馬で食事してかえったら下に速達 板倉鼎 朝六時死 板倉さんに泊る 三十日 夜ペルールにかえり入浴 泊る 十月一日 葬式 雨 十月二日 ひどい風 十二時まで眠る・・・ 宮本百合子 「「道標」創作メモ」
・・・そこで閭は知県の官舎に泊ることにした。 翌朝知県に送られて出た。きょうもきのうに変らぬ天気である。一体天台一万八千丈とは、いつ誰が測量したにしても、所詮高過ぎるようだが、とにかく虎のいる山である。道はなかなかきのうのようには捗らない。途・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
播磨国飾東郡姫路の城主酒井雅楽頭忠実の上邸は、江戸城の大手向左角にあった。そこの金部屋には、いつも侍が二人ずつ泊ることになっていた。然るに天保四年癸巳の歳十二月二十六日の卯の刻過の事である。当年五十五歳になる、大金奉行山本・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・生活の需要なんぞというものも、高まろうとしている傾はいつまでも止まることはあるまい。そんなら工場の利益の幾分を職工に分けて遣れば好いか。その幾分というものも、極まった度合にはならない。 工場を立てて行くには金がいる。しかし金ばかりでは機・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ても耳の底に残るように懐かしい声、目の奥に止まるほどに眤しい顔をば「さようならば」の一言で聞き捨て、見捨て、さて陣鉦や太鼓に急き立てられて修羅の街へ出かければ、山奥の青苔が褥となッたり、河岸の小砂利が襖となッたり、その内に……敵が……そら、・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ いつまでも続く女の子の笑い声を聞いていると、灸はもう止まることが出来なかった。笑い声に煽られるように廊下の端まで転がって来ると階段があった。しかし、彼にはもう油がのっていた。彼はまた逆様になってその段々を降り出した。裾がまくれて白い小・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・徳蔵おじがこんな噂をするのを聞でもしようもんなら、いつも叱り止るので、僕なんかは聞ても聞流しにしちまって人に話した事もありません。徳蔵おじは大層な主人おもいで格別奥さまを敬愛している様子でしたが、度々林の中でお目通りをしてる処を木の影から見・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫