・・・しかしどうしても其の前を通らねばならない。止むを得ず黙って通ったが、生れて覚えのない苦痛を感じた。軽侮するつもりではないかも知れねど、深い不快の念は禁じ得なかった。 予は渋川に逢うや否や、直ぐに直江津に同行せよと勧め、渋川が呆れてるのを・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ こんな調子で余は岡村に、君の資格を以てして今から退隠的態度をとるは、余りに勇気に乏しく、資格ある人士の義務から考えても、自家将来の幸福を求むる点から考えても、決して其道でないと説いた。岡村は冷かに笑って、君の云うことは尤もだけれど、僕・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・聨隊長はこの進軍に反対であったんやけど、止むを得ん上官の意志であったんやさかい、まア、半分焼けを起して進んで来たんや。全滅は覚悟であった。目的はピー砲台じゃ、その他の命令は出さんから、この川を出るが最後、個々の行動を取って進めという命令が、・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・僕は受けたが、その跡はどうあしらっていいのだか、ちょっとまごついた。止むを得ず、「実は」と、僕の方から口を切って、もし両親に異議がないなら、してまた本人がその気になれるなら、吉弥を女優にしたらどうだということを勧め、役者なるものは――とても・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・何人に配ったか知らぬが、僅に数回の面識しかない浅い交際の私の許へまで遣したのを見るとかなり多数の知人に配ったらしいが、新聞社を他へ譲渡すの止むを得ない事情を縷々と訴えたかなり長い手紙を印刷もせず代筆でもなく一々自筆で認めて何十通も配ったのは・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・然るに独り文人が之を口にする時は卑俗視せられて、恰も文人に限りては労力の報酬を求むる権利が無いように看做されてる。文人自身も亦此の当然の権利を主張するを陋なりとする風があって、較やもすれば昔の志士や隠遁家の生活をお手本としておる。 世界・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・時銃忽ち鳴る 狗子何ぞ曾て仏性無からん 看経声裡三生を証す 犬塚信乃芳流傑閣勢ひ天に連なる 奇禍危きに臨んで淵を測らず きほ敢て忘れん慈父の訓 飄零枉げて受く美人の憐み 宝刀一口良価を求む 貞石三生宿縁を証す 未だ必ずしも世・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・魯縞を穿つあたわざる憾みが些かないではないが、二十八年間の長きにわたって喜寿に近づき、殊に最後の数年間は眼疾を憂い、終に全く失明して口授代筆せしめて完了した苦辛惨憺を思えば構想文字に多少の倦怠のあるは止むを得なかろう。とにかく二十八年間同じ・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 和平を求むる者は福なり、其故如何となれば其人は神の子と称えらるべければ也、「神の子と称へらるる」とは神の子たる特権に与かる事である、「其の名を信ぜし者には権を賜いて之を神の子と為せり」とある其事である(約翰、単に神の子たるの名称を賜わ・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・ 私が、子供の代弁をして、お母さんたちに望むところは止むを得ざるかぎり、家にいてもらいたい、そしてやさしい返事をして下さい。日本の家庭がみんなそう出来るなら、子供たちは、どんなに幸福なことであろうか。麗わしい家族制度のためにも、私は、お・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
出典:青空文庫