・・・伏木から汽船に乗りますと、富山の岩瀬、四日市、魚津、泊となって、それから糸魚川、関、親不知、五智を通って、直江津へ出るのであります。 小宮山はその日、富山を朝立、この泊の町に着いたのは、午後三時半頃。繁昌な処と申しながら、街道が一条海に・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 二十五年前には外山博士が大批評家であって、博士の漢字破りの大演説が樗牛のニーチェ論よりは全国に鳴響いた。博士は又大詩人であって『死地に乗入る六百騎』というような韻文が当時の青年の血を湧かした。 二十五年前には琴や三味線の外には音楽・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・六、七歳頃から『八犬伝』の挿絵を反覆して犬士の名ぐらいは義経・弁慶・亀井・片岡・伊勢・駿河と共に諳んじていた。富山の奥で五人の大の男を手玉に取った九歳の親兵衛の名は桃太郎や金太郎よりも熟していた。したがってホントウに通して読んだのは十二、三・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・おしかは早速、富山の売薬を出してきた。 清三の熱は下らなかった。のみならず、ぐん/\上ってきた。腸チブスだったのである。 彼女は息子を隔離病舎へやりたくなかった。そこへ行くともう生きて帰れないものゝように思われるからだった。再三医者・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・越中富山の万金丹でも、熊の胃でも、三光丸でも五光丸でも、ぐっと奥歯に噛みしめて苦いが男、微笑、うたを唄えよ。私の私のスウィートピイちゃん。あら、あたし、いけない女? ほらふきだとさ、・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・の芝居で柳永二郎の富山がお宮の母と貫一の絶縁条件を値踏みしなが「二万円もやりぁいいでしょう」と云ったあの舞台面は多分ここをモデルにしたものらしいと思われた。 箱根ホテルでは勘定をもって来てくれと四、五度も頼んで待ち草臥れた頃にやっと持っ・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・ 話が自分の経歴見たようなものになるが、丁度私が大学を出てから間もなくのこと、或日外山正一氏から一寸来いと言って来たので、行って見ると、教師をやって見てはどうかということである。私は別にやって見たいともやって見たくないとも思って居なかっ・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・しかもその二階は図書室と学長室などがあって、太いズボンをつけた外山さんが、鍵をがちゃつかしながら、よく学長室に出入せられるのを見た。法文の教室は下だけで、間に合うていたのである。当時の選科生というものは、誠にみじめなものであった。無論、学校・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・ 腰と首根と手足の附け根に、富山の打ち身の薬が小汚くはりつけてあった。 一月ほど立って手は上る様になったが指先が利かなかった。 三度の食事の度んび、栄蔵はじれて涙をこぼしたり怒鳴ったりした。 栄蔵の体はいつとはなし衰弱して来・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 自分たちは直接海へのり出して行かないで、その結果だけ待っていて家計をやりくってゆく漁村の女の暮しが楽でないことは、大正八年に米の価が途方もなくあがったとき第一番にそれに反対したのが富山県の漁夫のおかみさん達であったことからも判断出来る・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
出典:青空文庫