・・・「いや、これは、とんだ御足労を願って恐縮でございますな。」 忠左衛門は、伝右衛門の姿を見ると、良雄に代って、微笑しながらこう云った。伝右衛門の素朴で、真率な性格は、お預けになって以来、夙に彼と彼等との間を、故旧のような温情でつないで・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・いやはや、とんだ時が、満願の夜に当ったものでございます。「その上、相手は、名を訊かれても、名を申しませぬ。所を訊かれても、所を申しませぬ。ただ、云う事を聞けと云うばかりで、坂下の路を北へ北へ、抱きすくめたまま、引きずるようにして、つれて・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・……私は目を瞑った、ほとんだ気が狂ったのだとお察しを願いたい。 為業は狂人です、狂人は御覧のごとく、浅間しい人間の区々たる一個の私です。 が、鍵は宇宙が奪いました、これは永遠に捜せますまい。発見せますまい、決して帰らない、戻りますま・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・「はて、勿体もねえ、とんだことを言うなっす。」 と両つ提の――もうこの頃では、山の爺が喫む煙草がバットで差支えないのだけれど、事実を報道する――根附の処を、独鈷のように振りながら、煙管を手弄りつつ、ぶらりと降りたが、股引の足拵えだし・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・「お膳にもつけて差し上げましたが、これを頭から、その脳味噌をするりとな、ひと噛りにめしあがりますのが、おいしいんでございまして、ええとんだ田舎流儀ではございますがな。」「お料理番さん……私は決して、料理をとやこう言うたのではないので・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・「そりゃ何しろとんだ事だ、私は武者修行じゃないのだから、妖怪を退治るという腕節はないかわりに、幸い臆病でないだけは、御用に立って、可いとも! 望みなら一晩看病をして上げよう。ともかくも今のその話を聞いても、その病人を傍へ寝かしても、どう・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・満蔵はとんだことを言い出して困ったと思うような顔つきで、「昨日の稲刈りでおとよさアは、ないしょで省作さアのスガイ一把すけた。おれちゃんと見たもの。おとよさアは省作さアのわき離れねいだもの。惚れてるに違いねい」 おはまは目をぎろっとし・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・「おッ母さん、茶でも入れべい。とんだことした、菓子買ってくればよかった」「お前、茶どころではないよ」と言いながら母は省作の近くに坐る。「お前まあよく話して聞かせろま、どうやって出てきたのさ。お前にこにこ笑いなどして、ほんとに・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・「先生、とんだことになりまして、なア」と、あくまで事情を知らないふりで、「あなたさまに御心配かけては済みませんけれど――」「なアに、こうなったら、私が引き受けてやりまさア」「済まないこッてございますけれど――吉弥が悪いのだ、向う・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・それもまったくかもめの言葉を信じて、とんだめにあった復讐を他に向かってしたのでございます。 ある日、からすは田の上や、圃の上を飛んで田舎路をきかかりますと、並木に牛がつながれていました。その体は黒と白の斑でありました。そして、脊に重い荷・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
出典:青空文庫