・・・といったような論文の材料にでもして故事付けの数式をこね廻しでもすると、あとでとんだ恥をかくところであった。実験室ばかりで仕事をしている学者達はめったに引っかかる危険のないようなこうした種類の係蹄が時々「天然」の研究者の行手に待伏せしているの・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・ただ一人の船頭が艫に立って艪を漕ぐ、これもほとんど動かない。塔橋の欄干のあたりには白き影がちらちらする、大方鴎であろう。見渡したところすべての物が静かである。物憂げに見える、眠っている、皆過去の感じである。そうしてその中に冷然と二十世紀を軽・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ その明け方の空の下、ひるの鳥でもゆかない高いところをするどい霜のかけらが風に流されてサラサラサラサラ南のほうへとんでゆきました。 じつにそのかすかな音が丘の上の一本いちょうの木に聞こえるくらいすみきった明け方です。 いちょうの・・・ 宮沢賢治 「いちょうの実」
・・・「おれはあけ方、まっ黒な大きな足が、空を北へとんで行くのを見た。もう少し北の方へ行って見ろ。」そして粟餅のことなどは、一言も云わなかったそうです。そして全くその通りだったろうと私も思います。なぜなら、この森が私へこの話をしたあとで、私は・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・ さあ、もうみんな、嵐のように林の中をなきぬけて、グララアガア、グララアガア、野原の方へとんで行く。どいつもみんなきちがいだ。小さな木などは根こぎになり、藪や何かもめちゃめちゃだ。グワア グワア グワア グワア、花火みたいに野原の中へ飛・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・『人民の文学』はそのころから一九三三年著者が検挙されるまでのわずか五年間ほどの間に書いた評論と、十二年とんで、一九四六年以降に書いた三編が入っている。 いまこの四冊の評論集をながめて、書評を書こうとし、非常に困難を感じる。なぜなら、この・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・を出して本棚や机をふいて、食堂から花を持って来たり、鼠に食われる恐ろしさに仕舞って置く人形や「とんだりはねたり」を並べたりする。 妙にそわそわして胸がどきどきする。 母に笑われる。でも仕方がない。 花を折りに庭へ出て書斎の前の、・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・小蜂が一匹とんで居る。第一の精霊 サテサテマア、何と云うあったかな事だ、飛切りにアポロー殿が上機嫌だと見えるワ。日影がホラ、チラチラと笑って御ざる。第二の精霊 アポロー殿が上機嫌になりゃ私共までいや、世の中のすべてのものが上・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・「八つ時分三味線屋からことを出し火の手がちりてとんだ大火事」と云う落首があった。浜町も蠣殻町も風下で、火の手は三つに分かれて焼けて来るのを見て、神戸の内は人出も多いからと云って、九郎右衛門は蠣殻町へ飛んで帰った。 山本の内では九郎右衛門・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・実に骨牌と云うものはとんだ悪い物である。あれをしていると、大切な事を忘れてしまう。 ツァウォツキイはようよう鉄道の堤に攀じ上った。両方の目から涙がよごれた顔の上に流れた。顔の色は蒼ざめた。それから急にその顔に微笑の影が浮かんで、口から「・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
出典:青空文庫