・・・に腕を巻きつけて、「どうぞ、お母さん、私を行かせないで下さいまし。貴女のお手で、私を確かり抱いて頂戴。斯うやって、私がすがり付いているように。そして、どうぞしっかり捕えていて下さい」と云いでもするように。 カルカッタの家に着いて・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・「すみません。どうぞ、おあがりになって、お話を聞かして下さいまし」 と言って私は式台にあがってしゃがみ、「私でも、あとの始末は出来るかも知れませんから。どうぞ、おあがりになって、どうぞ。きたないところですけど」 二人の客は顔・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・秘密警察署の方は官吏でございますから、報酬は取りませんが、私立探偵事務所の方がございますので。どうぞ悪しからず。それから潜水夫がお心付けを戴きたいと申しました。」 おれはすっかり気色を悪くして、もう今晩は駄目だと思った。もうなんにもすま・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・そして、「このつれならまだいくらでもありますから、どうぞいいのを御持ち下さい」という。 一体私がこの壷を買う事に決定してから取り落してこわしたのだから、別に私の方であやまる必要もなければ、主人も黙って破片を渡せばいいのではなかったかと、・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・「先生、おひろもどうぞひとつ」森さんは道太に言っていた。 森さんは去年細君に逝かれて、最近また十八になる長子と訣れたので、自身劇場なぞへ顔を出すのを憚かっていた。 森さんはまたお茶人で、東京の富豪や、京都の宗匠なぞに交遊があった・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・「まア、どうぞ御免なすって……。」と銀杏返は顔を真赤に腰をかがめて会釈しようとすると、電車の動揺でまたよろけ掛ける。「ああ、こわい。」「おかけなさい。姉さん。」 薄髯の二重廻が殊勝らしく席を譲った。「どうもありがとう……・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・男は平気な顔を装ってどうぞと云わぬばかりに女を窓の方へ誘う所作をした。すると女はいきなり馳けて行って窓から飛下りた。死にはしなかったが生れもつかぬ不具になってしまいました。男もこれほど女の赤心が眼の前へ証拠立てられる以上、普通の軽薄な売女同・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ どうぞあなたの貴重な時間の十五分間をわたくしに御割愛なさって下さいまし。ちょうど夫は取引用で旅行いたしまして、五六日たたなくては帰りません。明晩までに、差出人なしに「承知」と云う電信をお発し下さいましたら、わたくしはすぐにパリイへ立つ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・それに何だか咽が締るようで、髪の毛が一本一本上に向いて立つような心持がする。どうぞ帰ってくれい。お前は死だな。ここに何の用がある。ええ気味の悪い。どうぞ帰ってくれい。ええ、声を立てようにも声も立てられぬわい。(へたへたと尻餅命の空気が脱け出・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・マアどうぞ、サアこちらへ。お目出とう御座います。旧年中はいろいろ、相変りませず。」「お目出とう御座います。」「今朝もお噂さを致して居りましたところです。こんなによくおなりになろうとは実に思い懸けがなかったのです。まだそれでもお足がすこしよろ・・・ 正岡子規 「初夢」
出典:青空文庫