・・・――そのまた向うには夜霧の中に、岩屋の戸らしい一枚岩が、どっしりと聳えているのだった。 桶の上にのった女は、いつまでも踊をやめなかった。彼女の髪を巻いた蔓は、ひらひらと空に翻った。彼女の頸に垂れた玉は、何度も霰のように響き合った。彼女の・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・と思うと船はいつの間にかもう赤煉瓦の西洋家屋や葉柳などの並んだ前にどっしりと横着けに聳えていた。 僕はやっと欄干を離れ、同じ「社」のBさんを物色し出した。長沙に六年もいるBさんはきょうも特に江丸へ出迎いに来てくれる筈になっていた。が、B・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・もり蕎麦は、滝の荒行ほど、どっしりと身にこたえましたが、そのかわり、ご新姐――お雪さんに、(おい、ごく内証と云って、手紙を托けたんです。菫色の横封筒……いや、どうも、その癖、言う事は古い。(いい加減に常盤御前とこうです。どの道そんな蕎麦だか・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・乳牛のいる牧場は信子の好きなものだった。どっしりした百姓家を彼は愛した。「あれに出喰わしたら、こう手綱を持っているだろう、それのこちら側へ避けないと危いよ」 行一は妻に教える。春埃の路は、時どき調馬師に牽かれた馬が閑雅な歩みを運んで・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ ○ 顔も大きいが身体も大きくゆったりとしている上に、職人上りとは誰にも見せぬふさふさとした頤鬚上髭頬髯を無遠慮に生やしているので、なかなか立派に見える中村が、客座にどっしりと構えて鷹揚にまださほどは居ぬ蚊を吾家から・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・欄間も、壁も、襖も、古く、どっしりして、安普請では無い。「ここは、ちっとも、かわらんな。」幸吉は、私と卓を挾んで坐ってから、天井を見上げたり、ふりかえって欄間を眺めたり、そわそわしながら、そんなことを呟いて、「おや、床の間が少し、ちがっ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・この町はずれに、どっしりした古い旅籠がある。問題の姉妹は、その旅館のお嬢さんである。姉は二十二、妹は十九。ともに甲府の女学校を卒業している。下吉田町の娘さん達は、たいてい谷村か大月の女学校へはいる。地理的に近いからだ。甲府は遠いので通学には・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・次郎兵衛の風貌はいよいよどっしりとして鈍重になった。首を左か右へねじむけてしまうのにさえ一分間かかった。 肉親は血のつながりのおかげで敏感である。父親の逸平は、次郎兵衛の修行を見抜いた。何を修行したかは知らなかったけれど、何かしら大物に・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・よし一つや二つ何か立派などっしりした物があったにしても、古今に通じて世界第一無類飛切りとして誇るには足りないような気がする。然らば何をか最も無類飛切りとしようか。貧乏臭い間の抜けた生活のちょっとした処に可笑味面白味を見出して戯れ遊ぶ俳句、川・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・西の空に見えた夕月がだんだん大きくなって東の空から蜀黍の垣根に出るようになって畑の西瓜もぐっと蔓を突きあげてどっしりと黄色な臀を据えた。西瓜は指で弾けば濁声を発するようになった。彼はそれを遠い市場に切り出した。昼間は壻の文造に番をさせて自分・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫