・・・ こうして被告を絶望のどん底におし込んでおかないと、あとの薬が利かない。こうしておいて後にそろそろ被告の運命を明るい方へ導くために、今度は有利な側の証人を招集する段取りになる。共犯嫌疑者田代公吉は弁護士梅島君のところに、不都合にも、「か・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・山の腹わた」を通り抜けると、ぱっと世界が明るくなる。山のどん底から山の下の平野の空へ向って鉄路が上向きに登っているから、恰度大砲の中から打出されたような心持がして面白い。打出されたところは昔呉竹の根岸の里今は煤だらけの東北本線の中空である。・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・自分が決してどん底の者でないことが感じられていたのだが――沢やの婆が行ってしまったら、後に、誰か自分より老耄れた、自分より貧乏な、自分より孤独な者が残るだろうか? 自分が正直に働いてい、従って真逆荷車で村から出されるようなことにならない・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・『乞食から国王まで』の著者は、社会のどん底から、てっぺんまでを看護婦として通ってみて、人間とその病気とが、人生の何を語るかということを書いた本でした。 丁度日本が中国への戦争を拡大していたころで、間もなくわたしはその新聞さえよむことがで・・・ 宮本百合子 「生きるための協力者」
・・・ 奈落のどん底に突落された様な明暮れの中に栄蔵は激しい肉体の悩みと心の悩みにくるしめられた。 打ったところが、何ぞと云っては痛み、そこが痛めば頭の鉢まで弾けそうになった。 何かして、フト手の利かない事を忘れて、物を握ろうとなどす・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・「歎願者」の老婆の、あの哀訴にみちた瞳の光りが描けたろう。 ケーテのスケッチに充ちている偽りなさと生活の香の色の濃厚さは、私たちにゴーリキイの「幼年時代」「私の大学」「どん底」などの作品にある光と陰との興味つきない錯綜を思いおこさせる。・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・ 九月十日に「どん底」や「エゴール・ブルィチョフ」の記念の講演会の予定があり、私の校正も一通り終ったら或は安積へゆくかもしれません。只景色のいいところにいるだけなら二三日でよいが、安積は久しぶりでいろいろ面白いかとも思うので。 きょ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ ガタガタになり始めた隅々から、貧しさは止度もなく流れこんで、哀れな小さい箱舟を、一寸二寸と、暗い、寒い、目のないものが棲んでいるどん底へと押し沈めかけていたのである。 ところへ、五年目に起った大不作は彼等一族を、まったく困憊の極ま・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・我々は希望するしないに拘わらず、生粋の放蕩者ユロ男爵を遂に社会のどん底につき落したパリの美人局、従妹ベットの共犯者マルヌッフ夫妻の住んでいるぞっとするような湿っぽいルーブルの裏通りへ連れ込まれる。マルヌッフ夫婦の悪行で曇った食事皿の中の隠元・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・興味あることは、村山氏がゴーリキイの「どん底」を昨年新たな認識で上演し好評を博したことはわれわれの記憶に新しい。その同じ一人の芸術家が今月は『文芸』の誌上で、「父たち母たち」のような作品を示してくれる時、「どん底」を観、その目でこの小説を読・・・ 宮本百合子 「ヒューマニズムへの道」
出典:青空文庫